txt:ふるいちやすし 構成:編集部

映画について深く考える夜

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今、撮影旅行で西日本を回っている。その途中、PRONEWSでもおなじみのプロデューサー、山下ミカさんの計らいで3人のクリエイターと会食する機会を得た。2人はブライダルやVPを主にやっているカメラマン、もう1人は映画監督を志し映画学校を卒業するも、現在はテレビ局でCGを担当しているという。初対面ではあるが、これから度々会える方々でもないので、軽い話で終わるのも嫌で、思い切って山下さんも含めた4人にお題を出した。

「あなたはなぜ今、映画を作らないのですか?」

4人まとめてではなく、1人1人にである。山下さんなんかは「え?私?」という反応だったが、これはあくまでお題であって「作れ!」という意味ではない。ここからそれぞれの立場とその周りにある可能性を知り、同時に変な思い込みがあるのならそれを取り払う為のものだ。素直にどんな理由でも構わない。その1つ1つに私の分かる限りの答や反論を話すつもりだった。なぜなら彼らは少なくとも少しは映画を作り始めてもおかしくない可能性を持った人だからだ。例えば、

「映画を作るのはお金がかかるから」

確かに全くかからない訳ではないが、フィルムの時代から大判センサー、デジタル一眼ときて今、とんでもなくその費用は安くする事ができる筈だ。細かく言うと、まず安くなったSDカードに湯水のように撮り貯める事ができる。カメラの高感度化により照明機材が削減できる。同じく小型・軽量化により、周辺機器、特機類も安価に揃える事ができ、また、日々魅力的な物も新しく開発・発売されている。その全てに於いてスタッフの数を削減できる。だがイメージは50人規模の現場スタッフ、いつ終わるとも分からない100人を軽く越えるエンドロールのまま、なぜかメジャー映画の予算感が刷り込まれている。私のように4、5人のスタッフでやるというのにはかなりの無理はあるが、10人もいればできる筈だ。いや、それでできる作品は必ずある。

また、そのスタッフに支払う報酬は必ずしも現金である必要はない。その個々人の思惑によるが、経験やメリットといった物を報酬に変えればいい。だから出会いのタイミングはとても大切だ。「今、1つの映画を作った」という事が、ちょっとした現金の何倍もの意味を持つクリエイターや役者は必ずいる。そのタイミングで話をもちかければ現金はそんなには必要にならない筈だ。そうならない作品を編み出せばいい。何故、映画と聞いただけで、大企業が有名俳優を使い大量のスタッフで作り上げる物を想像するのだろうか?確かに一昔前までは私たちの使える機材では劇場クオリティーに達してはいなかった。今はそこには何の問題も無い。最先端クオリティーを求めればキリがないが、そうでなくてもオーディエンスからクレームがつく事は無い筈だ。

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「そりゃぁ、ふるいちさんは色々できるから!」

確かに私は少し変わった人生を、しかも50年以上生きているお陰で、脚本・演出・撮影・編集・音楽という映画の要素を5つ受け持つ事ができる。だが、全てではない。役者にはなれないし、ヘアメイク、衣裳も作れない。こと制作・プロデュースに関しては完全に無能だということは読者の皆さんならご存知の筈だ。だからそれらができる人達を必死で求め、言葉と感性を交わし、1つのチームを作る。5つ出来るか1つしかできないかは大した問題ではない。要はそれらの要素が揃えばいいのだ。

そして最も大切なのは美意識を共有するコミュニケーションだ。確かにこの部分で5つの事を1人がまかなえば、その中で初めからコミュニケーションはとれている。これは強みだと思ってはいるが、コミュニケーションさえしっかりとれれば、逆に分担していた方がプラスに働くこともあるんじゃないだろうか?残念ながらこのコミュニケーションというやつが苦手な人が増えてきているように思えてならない。一方、SNSなどのコミュニケーションツールは充実している。これらをうまく利用して、とにかく美意識を共有できればいいのだ。ITツールを使うだけではなく、チームの人数を絞り込めば居酒屋やカフェで集まる事も容易になる。相乗効果を考えれば可能性をどんどん拡げる事が可能だ。

「そもそも映画と言う形に魅力を感じない」

1人のカメラマンから出た言葉だ。ならばどんな形の映像に魅力を感じるのか?と聞き返したところ、台詞もストーリーもない、映像美だけで勝負する映像だという。私の「」という作品はストーリーはあるが、台詞はない。それで国際映画祭で賞を戴いている。だから彼の考える形を映画と呼んでもいい筈だし、どんな形であろうとも、映画であることはできると思う。端的に、劇場に人を集めて見てもらう価値のあるものを作ればいいのだ。なんなら劇場に拘る必要もないかもしれない。そこもまたメジャー映画がシネコン上映で何万人もの人を集めるのが映画だと言う思い込みに支配されて、動けなくなっている。映画の形態は自由だ。10秒で終わってもいいし、丸1日あってもいい。私は商業映画とは言っていない。

「でもアウトプットがないと作る意味がないのでは?」

う…そ、それを言われると私も言葉を失ってしまう。さらに彼は続ける。「やっぱり何らかの形でマネタイズしないと意味が無い」。果たしてそうだろうか?私は映画で食っていけとは言っていない。職業でなくては映画は作る意味がないのだろうか?この際、文化と職業は分けて考えてほしい。プロでなければいい映画は作れないとは限らないのだ。むしろ採算を考えない映画の方が価値のある映画ができる可能性は高いという悲しい側面もあると思う。まずは文化として、子供でも老人でも映画を作る意味はある。その文化層が豊かにならない限りは映画の次への進歩はあり得ない。

単なるお題とはいえ、少々意地悪に聞こえたかもしれない。だがとても意味のある夜になったと思う。1人は明らかにもう一度映画監督を志した時の思いを甦らせていたようだし、もう1人も自分の周りにあるチャンスや仲間とその可能性を考えていた。そしてまずは脚本を書きたいと言っていたが、それが一番難しいとも言っていた。それならまずはプロットだけでもいいから書いて、それを周りの人に見せれば、ひょっとしたらそれを脚本化できる人が現れるかもしれない。重ねて言うが「今すぐ映画を作り始めろ!」という事ではなく、皆さんも一度自分に問いかけてみてほしい。恐らく色んなチャンスと思い込みに気付く事ができるだろう。

「あなたはなぜ今、映画を作らないのですか?」

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WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。