今年の3月はとうとうデンバー地区では降雨、降雪が見られず記録的にも異常な暖かい気候の日が継続しました。そして、4月に入っても1日だけ気温が急激に下がり、一面が真っ白になるほどの降雪を見ましたが、翌日には回復して好天となり再びもとの温暖な天候に戻っています。そして、いよいよ時は5月に突入しています。

デンバー地区の街路樹に使われる事が増えてきた桜
これは私の家から直ぐ近くのPeoria StreetとExposition Avenueの交差点の4月初旬の光景です。右に花を付けているのは桜の若木で植えられてから3年になります。突然桜が1本だけ満開になって道ばたに立っているのは少々場違いの感じもしますが、近年デンバー地区ではこの様に街路樹として道ばたに桜を植えられるケースが増えてきました。

こうした異常な暖かさが長く続いた事から、毎年春の到来を告げるデンバー地区の町中の木々は通常よりはるかに早いタイミングで新芽(Bud)を付けましたが、開花して良いのかどうか迷っているといった風情でした。

そんな中、ここ数年前からデンバー地区での街路樹として多く植えられる様になった、日本ではこの3月から4月の時期に主役となる「桜」の木はそれぞれ突如単独に一斉開花して他の木々は芽を吹き始めたばかりなのに桜の若木のみが大変目立つという例年とは大変変わった状況でした。

一方、アメリカの首府のワシントンDCでは、今年は全米の人達によく知られているポトマック河畔に植えられた桜並木が1912年に当時の東京市長だった尾崎行雄氏が桜の苗木3,000本を日米友好を祈念して贈った事が始まりで、その時のアメリカ大統領タフト氏の夫人がその年の3月27日にその届けられた桜の苗木をポトマック河畔に植樹しています。


この時より今年でちょうど100周年にあたりますので、この日の為に日米の間で「Nationwide Cherry-blossom Tree-planting Initiative」と言う組織が結成されて、ワシントンDCではその口火を切るオバマ大統領夫人のミッシェル・オバマさんによる日本政府が用意した桜の苗木の記念植樹が行なわれました。

今回は「ワシントンからホノルルまで」という呼称で、ワシントンDCを始めとしてアメリカの主要都市そしてハワイのホノルルなどでも同様の記念植樹が実施されています。

コロラド州のデンバーもその各都市の一つに選ばれて、日本政府から寄贈された桜の苗木50本をデンバー市のDenver Parks Plannning Officeの選択によりデンバーの町の西のWheat Ridge地区でWadsworth Blvd.沿いにあるTown Center Parkに植樹する事が決められて、デンバーにある日本総領事館の人々や日米友好協会、日系人会の人達の代表者により先ず7本の苗木が植えられて、その後に待ち受ける200名の人々によって残りの苗木が植樹されました。

デンバー市の公園リクリエーション課では、今後もこのTown Center Parkには継続的に桜の植樹を行なっていく事にしている、と言っていますので、将来桜の名所となるかもしれません。

一方、デンバーから約65マイル(105km)南に位置するColorado Springs市は日本の山梨県富士吉田市と姉妹都市となっていますが、その富士吉田市から今回の100周年記念として同市の姉妹都市委員会の役員の人が使者となって桜の苗木が寄贈されて来て、4月18日にはColorado SpringsのAcasia Parkで同市のSteve Bach市長、デンバーの日本総領事館からは大野郁彦総領事が出席してそれぞれ挨拶をされた後に参加者約50名により記念植樹が行なわれています。

“ABEYA” Tsugaru-Shamisen US Tour
Celebrating the Japan-US Cherry Blossom Centennial

ABEYA津軽三味線の演奏会場
デンバー市役所のオフィスが沢山入っているWellington Webb Municipal Buildingの1階の多目的ホールを使っての演奏会場です。

4月17日(火)にデンバーにある日本総領事館の主催で日本の津軽三味線の第一人者である阿部兄弟の演奏をフィーチャーする演奏会が開催される事を知り、私と家内とはこの思わぬ催しの案内に期待して参加し感動のひと時を過ごしました。

津軽三味線と言えば私は日本へいたかなり以前に当時NHKのTV放送で盲目の名人演奏家の高橋竹山の演奏をドキュメンタリーなタッチで放送した番組を観て(聴いて)大変感動した事をいまだにアリアリと記憶しています。

その高橋竹山が亡くなって以降は今回の阿部兄弟がその厳しい修行と練習の積み重ねで次の世代を担う津軽三味線の演奏家として育ち知られる様になって来た事と承知しています。


今回その阿部兄弟の津軽三味線の演奏が生でアメリカの田舎のデンバーで聞く事が出来ると言う事で我ながらいささか興奮気味でその演奏会の催されるデンバー市の中心にあって、デンバー市郡庁舎とColfax Avenueを挟んで建っているデンバー市役所の機能の入っているWellington Webb Municipal ビルの一階の広いホールへ出かけて行きました。

今回のこの催しは日本からアメリカへ寄贈されたワシントンDCの桜の植樹100周年記念行事の一環としてアメリカで日本人が多く住んでいる都市(日本総領事館がある都市)の中でも西に位置する主要な6都市で開くツアーで、会場で参加者に配布されたパンフレットによると、

  • 4月 9日(月)午後9時よりカリフォルニア州ロサンゼルス
  • 4月12日(木)午後7時半よりオレゴン州ポートランド
  • 4月13日(金)午後7時半よりワシントン州シアトル
  • 4月15日(日)午後4時半よりカリフォルニア州サンフランシスコ
  • 4月17日(火)午後6時15分よりコロラド州デンバー
  • 4月19日(木)午後7時半よりハワイ州ホノルル

というスケジュールで行なわれています。

演奏中のABEYAチーム
津軽三味線演奏チームのメンバー全員による津軽三味線の合奏の様子です。

今回の「ABEYA」チームのメンバーは阿部兄弟(阿部金三郎、阿部銀三郎)、彼らの父親で師匠そして今回の「ABEYA」チームのリーダーを務める阿部秀三郎、そして津軽三味線とともに日本民謡の歌い手の根本まや、そして阿部兄弟の次世代を担う五木田隆、安藤達正の6名で構成されており、演奏会は David Wheelerさんの日本語を交えた英語の司会進行で行なわれました。

始めにデンバー市長のMichael Hancockさんの今回のこの催しの経緯と歓迎の挨拶が行なわれ、次に現在デンバー総領事を務めている大野郁彦さんからワシントンDCの桜寄贈から100年の記念行事を含む日米の友好関係促進についての挨拶と説明が行なわれて、演奏に入りました。


会場は現在のコロラド州知事で前のデンバー市長だったHickenlooper氏の一代前にデンバー市長を務めたWellington Webb氏の業績を称えて付けられたビルで、その外形が大きな楕円形の建物で、中はデンバー市役所のいろいろな部門がオフィスとして使っていますが、その1階から4階までを打ち抜いて構成された多目的広場のホールで、そこへ設けられた簡易ステージに向かって移動用の椅子を沢山並べて観客を納めるといった方法で数百人の観客を集めて行なわれました。

ステージへ向かって前の100人分程の椅子は指定席となっていて、そこには日米友好協会、日系人会などの先にデンバーのTown Center Parkでの記念桜植樹に参加した招待者の人達と思える人々などが腰掛けて、その後の席を一般の日本に関係する人達と思える多くの観客で囲むといったほぼ会場が満員の状況で行なわれました。

私にとっては本当に暫くぶりで聴く(観る)津軽三味線の生演奏ですっかり満喫させて頂きました。また、私の家内にとっては始めての津軽三味線と言う事で日本の新しい文化に触れたと言う感じでやや興奮気味で家へ戻ってきました。

会場の脇にセットされた可搬型調整卓
アメリカツアーににふさわしく全ての機材を中型トラックに積んでの移動でコンパクトかつ充分な機材が使われいます。
来場者に配布されたパンフレット
これは、今回デンバーでの演奏会の来場観客に配布されたパンフレットでレターサイズ4ページ見開きのABEYAチームの解説や演奏曲目など説明を含むパンフレットです。

「ありがとう」from Japan

昨年3月11日に日本の東北地方を中心として大きな被害をもたらした大地震、そして大津波、更には原子力発電所の大事故という連続した自然が繰り出した大災害でその規模の甚大さから一時は、日本国家としてどのように対応出来るだろうか、再び立ち直る事が出来るだろうか、と世界の人々に大変心配されました。

その大災害の復旧に対処するにあたって、直ちに世界の多くの国々からいろいろな形で救援の手が日本へ差しのべられ、この非常事態に対応するための活動に大きな力となった事と思われます。

その時からはやくも1年が経過し、去る3月11日には日本では改めてこの大災害で亡くなられた大勢の人々の追悼をはじめ、その祈りを新たにする行事が行われたものと思います。また、こうした大災害に備える議論が活発に行われ、その実行に向けて動き出していると思います。

最近コロラドに住んでいる私の家内宛にアメリカの東海岸に住んでいる友達から一通のe-mailが送られてきました。そのメッセージの内容は添付の様な簡単なもので、そのSubjectは

“ARIGATO”, Japan thanks all who helped since 3-11-11.
(日本からの2011年3月11日の大災害以降の世界からの各支援に感謝、「ありがとう」)

となっており、また、その下にはその人のコメントで

なんと素晴らしい(日本の)人達なのだろう。アメリカは世界の多くの国々へ支援を行って来たけれど、それらの国々のその多くがアメリカを嫌っているのと大違いだ。

そして、「日本からの感謝 Click Here」となっていて、ここをクリックすると、日本で制作、編集されたと思えるYouTubeベースの動画のメッセージプログラムに入る様になっています。

この動画プログラムは何処で制作されて、誰が世界に向けて発信したのか不明ですが、日本での大災害の様子、世界各国からの救援活動、そしてアメリカから宮城県石巻市の中学の英語の教師として日本へ来て働いていたTylar Andersonさんが、大地震の直後にその教え子達を緊急に集団下校させて各家へ送り届けた後学校へ戻った事から、その後に発生した大津波の犠牲となって亡くなられた事などを伝えており、結びとして今回の日本での被害を受けた各地の人々が世界からの多大な支援にそれぞれが「ありがとう。」と言っている多くのシーンで完結しています。

このe-mailと動画のメッセージは人から人へとForward転送されており、アメリカ国内だけでも膨大な人数の人達に見らているものと思われます。

そうした中にあって、私の家内の友人がコメントしている様に「人でも国でも世話になったら素直に感謝の気持ちを表す。それは当たり前の事だが、現在そうした事が通用しなくなっている中で、今回のこの日本から世界に向けた感謝のメッセージを伝えているのは素晴らしい事だ。」という実感がこれを見た世界の多くの人々に感動として与えられたのではないか、と私自身も強く印象付けられました。

「Jiro Dreams of Sushi」映画の上映

私は日本からコロラドへ移住してから、町の映画館へ足を運んで映画鑑賞をするという事をほとんど忘れていた様です。

日本には「すきや橋次郎」という店名で知られている、東京の地下鉄銀座線/丸ノ内線/新宿線の交差する駅の一角にある寿司専門のレストランがあります。

店内はカウンター形式のお客はたった10人分の席だけという小さな店ですが、この店のオーナーで、85才にもなる現役寿司職人、小野二郎さんはミシュランの三ツ星指定を受けていて、日本の人間国宝としても登録されています。

二郎さんの「お客に最高の寿司を提供する。」という信念のもとに、長年に渉る妥協を捨てて取り組んでいる人生をドキュメンタリータッチに紹介する映画「Jiro Dreams of Sushi」がデンバーの映画館で4月12日から4月23日までの間上映される、と言う事を知り、私は家内と一緒に4月14日(土)夕方5時からの上映を狙ってその映画を観に行きました。

この映画がこれまでに日本で上映されたのかどうかは知りませんが、配給Magnolia Pictures社、DirectorはDavid Gelb、上映時間は1時間21分、そしてセリフと言うか主人公の二郎さんを始めほとんどの人が日常に話している日本語そのままで、画面には英語の字幕付きという構成です。

事前にこの映画を紹介するWebがhttp://www.sushimovie.comで、その予告編的に見ることができる様になっており、それを確認してから観客は映画館へ行くと良い、といった仕組みとなっています。

MAYAN Theatre映画館
銀行のKey Bankの建物と並んで建っているMAYAN Theatre映画館の建物です。前の通りはデンバー市内を南北に走っているBroadwayで、Key Bankの右側がFirst Avenueでこの2つの建物の裏側が結構広い駐車場となっています。映画館の内部は2階建ての観客席となっていますが、現在では1階のみを使用しています。かつて映画がエンターテインメントの中心だった頃に造られた事を感じさせる外観、そして建物内部です。

この映画の上映されたデンバーの映画館はデンバー市内に小規模の映画館3軒を運営している「Landmark Theatres」グループのうちの1軒のMayan Theatreで、デンバーのダウンタウンからは少し南へ下がったBroadwayと1st Avenueが交差する所にあります。


Landmark Teatres グループが運営するデンバーの3映画館
  • Mayan Theatre Broadwayと1st. Avenueの交差点
  • Chez Artiste Colorado Blvd.のUniversity Hills Shopping Center
  • Esquire Theatre Downing Streetと6th. Avenueの交差点

Landmark TheatresグループはMagnolia Pictures社が所有している映画館チェーンで、 TV放送のHDNetもMagnolia Picturesの傘下の HDケーブルTVネットワークです。

MAYAN Theatre入り口に掲示された「Jiro Dreams of Sushi」上映中のポスター
今上映されている映画のポスターが入り口に全部で4枚貼り出されていました。その内の1枚がこの「Jiro Dreams of Sushi 」のポスターです。

土曜日の夕方と言う事もあってか、この映画の内容から私が予想していたよりも観客数は多く50人くらいで、その殆どが中年の白人男女という構成でした。

映画の上映が始まると「Something New」をこの映画から見つけよう、といった雰囲気が満ちて、日本寿司職人の仕草や言葉に驚きの声や笑い、そしてうなずきといった観客の反応が満ちていました。

私はこの映画を見ていて「なぜこの映画のDirectorのDavid Gelbさんはこうした寿司職人の小野二郎さんの生き方を映画に撮ろうと思ったのだろうか?」また、「なぜ、こうした日本の寿司職人の生き方をアメリカ人の観客に紹介しようと思ったのだろうか?」といった考えが強く頭の中を巡りまわって、映画が終わってCredit画面に変わった時にはすっかり頭の中が疲れてしまった状態でした。

また、「なぜ英語の音声解説を入れなかったのだろうか?」という疑問も私を捉えました。俳優が演技する映画ではなく、現実に存在している人の生き方をDocumentary Filmとして制作した映画なので、通常話している日本語の会話そのものがセリフであり、アメリカ人に観客として見てもらうことが目的なので英語の字幕付きとなっている、のだとは思いますが。

この映画「Jiro Dreams of Sushi」は事前の案内によると、4月12日から4月23日迄の期間だけデンバーで上映される事になっていました。

しかし、4月23日を過ぎても一日の上映回数が当初6回だったのが2回にはなったものの、依然として継続上映しているので、Mayan Theatreの方へ電話して「何時迄この映画はやっているのか?」と問い合わせたところ、「この映画に関わらず、上映する映画に付いては毎週月曜日にそれ迄の入場者数や観客の反応などをもとに検討して、興行的に継続上映するか、打ち切るかを決めている。」との返事でした。


その後この映画の上映の様子を注目していますと、

  • 4月12日(土)~ 4月27日(金) Mayan Theatreで上映
  • 4月28日(土)~ 5月 5日(土) Chez Artisteで上映、5月5日現在も継続上映中

と言う様に、デンバー市内でLandmark Theatresが運営している3ヵ所の映画館はそれぞれ距離的にはあまり離れていないのですが、Mayan TheatreからChez Artisteへ、そしてEsquire Theatreへとこの映画をバトンタッチしています。そうしながら、既に観てしまった人からまだ観ていない人へと口コミでの観客数を確保しつつ、総合で長い期間の継続上映となる事を狙っている戦略の様に思われます。

日本と言えば寿司、と言った連想がアメリカの人たちにほぼ定着している現在、こうした映画がこれを観た人々にどう映るのか、アメリカ全土でのこの「Jiro Dreams of Sushi」の最終の興行成績を注目したいと思います。

MAYAN Theatre映画館の入り口
なんともクラッシックな映画の全盛時代を偲ばせるMAYAN Theatre映画館の入り口です。中央が入場券の売り場となっていて、その両側に入り口のドアがあります。ドアを入るとちょっとした待ち合いホールとなっており、その一角にはバーもあります。
MAYAN Theatre映画館の入り口の入場券売り場
レトロそのものの入場券売り場です。

コロラドのスキー場の雪の情報を毎日伝える snow!

ロッキー山脈中でのその冬の降雪状況を身近に知る方法として、スキー場での雪の情報を知らせる「snow!」という紙面のわずかタテ2.7cm x ヨコ9cmを使った小さな情報欄が、地元新聞デンバーポスト紙のスポーツページにシーズンになると毎日掲載されています。

この「snow!」はアメリカのスキー場を経営している企業団体SKI COUNTRY USAのコロラドスキー場グループであるColorado Ski Country USAが掲載している広告で、今シーズンは、昨年の11月20日からこれに加盟しているコロラド州内26ヵ所にある各スキー場の雪の状況を伝えています。

情報項目としては、

  • 24時間以内での降雪量
  • 48時間以内での降雪量
  • ゲレンデ中腹での積雪量
  • 所有リフト総数と稼働中の本数
  • 滑走雪面の雪質状況
  • ゲレンデ下部のオープン状況
  • ゲレンデ中部のオープン状況
  • ゲレンデ上部のオープン状況

その他に滑走コースで雪崩の危険があるときはその警告情報、更にスキー場までの道路交通情報問い合わせ先、などを毎日伝えています。

昨年のシーズンスタート最初の11月20日から今年の4月30日迄の間の広告では、

スキー場 オープン日 クローズ日 リフト設置数
Arapahoe Basin 11/20以前 4/30以降 7
Aspen Highland 12/10 4/17 5
Aspen Mountain 11/24 4/17 8
Beaver Creek 11/23 4/21 21
Breckenridge 11/20以前 4/21より金土日のみオープン 31
Buttermilk 12/10 4/10 9
Copper Mountain 11/20以前 4/17 22
Crested Butte 11/23 4/10 16
Echo Mountain 11/30 4/10 3
Eldra 11/18 4/17 12
Howelson 12/3 3/20 4
Keystone 11/20以前 4/10 20
Loveland 11/20以前 4/30以降 10
Monach 11/23 4/10 7
Powderhorn 12/15 4/4 4
Pugatry (Durango) 11/15 4/4 10
Silverton Mountain 12/3 4/17 1
Ski Cooper 11/24 4/4 5
Snowmass 11/24 4/17 21
Ski Granby Ranch (Solvista Basin) 12/14 4/10 5
Steamboat 11/23 4/17 16
Sunlight 12/2 4/4 3
Telluride 11/24 4/10 18
Vail 12/18 4/21 31
Winterpark 11/24以前 4/24 24
Wolf Creek 11/24以前 4/10 7

となっており、標高の高いところにあるスキー場は例年11月初めからオープンしており、それ迄に降雪が充分でない時には人工降雪機を使ってゲレンデの整備を行い、オープン期日に間に合わせる様になっています。気温は降雪が無くても標高が高いところは氷点下となりますので、人工降雪機が活躍します。

結局、この冬のスキーシーズンの「snow!」の掲載は4月30日号のデンバーポスト紙まで継続掲載されましたが、それ以降も最後に残って営業を継続しているのは、Arapahoe BasinとBreckenridge、そしてLovelandの3スキー場で、いずれも海抜3,000m近い高地にあります。

そして、その内のBreckenridgeスキー場では4月24日以降は一週間のうち金、土、日曜日の3日間のみオープンでやっておりますが、他の2ヵ所のスキー場は運転リフト数を半分に絞ってもまだまだ毎日オープンしています。

従って、今年の暖かい春の天候の影響もあって各スキー場が次々とClosedとなって店じまいする中、4月24日以降はこの「snow!」欄の広告はこの3スキー場の為の広告と言った感じで継続していました。ですが、4月30日(月)でこの広告欄も消え、コロラドでの今スキーシーズンも終わりを告げたという雰囲気です。

5月1日(火)にはColorado Ski Country USAおよび、コロラド州内にVail、 Beaver Creek、Breckenridge、Keystone4ヵ所のスキー場を運営しているVail Resorts社の両者からこの冬のスキーシーズンを通しての総括報告が行われました。

それによりますと、以下の様な内容となっています。

  • このスキーシーズン(2011年11月~2012年4月末)はコロラドの各スキー場が営業を始めて以来歴史的に最も乾燥した暖かい春であったので、その営業期間は今迄で最も短期日のシーズンとなりました。昨シーズン(2010年11月02011年5月初)が始まって以来最も長い営業期日であったので大きな違いでした。
  • 昨シーズンは5月の初旬でも過去30年間の平均残雪量の135%の積雪が残っていました。
  • 今シーズンの5月2日に於ける高標高のスキー場でもその積雪量は過去30年間の平均残雪量のたった20%の積雪でした。
  • 高標高のスキー場の代表例としてArapahoe Basin スキー場の場合で見てみると、人工降雪機を使用しない条件下で、
    1981年のクローズ日は4月30日
    2001年のクローズ日は5月19日
    2012年のクローズ日は4月29日
    でした。
  • 今シーズンの極端な乾燥暖春の気候は太平洋の東赤道付近の海面水温が低温となる現象LaNinaによるもので、2010年10月からのきわめて珍しい「LaNinaによるDouble Dip現象」でコロラドは乾燥暖春となる事が分かっていますが、それほど海面水温が下がるとは気象専門家を含めて誰もが思っていませんでした。
  • 昨年Arapahoe Basinスキー場では7月の下旬にはスキーが可能となりましたが、それは同スキー場が始めてオープンした1946年以来5番目の早さでした。1997年以来初めての事でした。そして、クローズする日は6月の最初の日曜日頃が通常となっています。
  • Echo Mountainスキー場は2006年からオープンしている新しいスキー場で、今年は4月8日にクローズしてオープン以来最も早いクローズ日となりました。
  • Colorado Ski Country USAグループ26ヵ所のスキー場のからVail Resorts社所有の4ヵ所を除いた15ヵ所が、オープン時に計画されたクローズ日に今年も閉めています。そして、Colorado Ski Country USAグループ22ヵ所のほとんどが計画していたクローズ日に対して1週間以内の違いで今年もクローズしました。
    この22ヵ所のスキー場で今シーズンの総来場者は今年6月にならないと発表されませんが、雪が少なかった今シーズンはあまり良い数字になりそうもありません。
  • Colorado Ski Country USA では各スキー場の今シーズンの売上げについては分析は行いませんが、スキー客数が減少する理由として経済不調、イラクやアフガニスタンでの戦争の継続、ガソリンの価格高騰など挙げればきりがないですが、今シーズンが終わって雪がその主因となっても不思議でない様な事から、ほとんどのスキー場の売上げは昨年並みか昨年より減少となるのではないかと推定しています。
  • Vail Resorts社では、コロラドで4ヵ所ある同社のスキー場では、今シーズンは過去30年の平均に比べて50%も少ない降雪量と言われる気象条件下にあり、スキー場への来客総数は昨シーズンに比べ12.6%低下しましたが、同社のコロラド内の4スキー場でのリフトパスの売上げ金額は昨シーズンに比べて0.3%の減少にからくも収まったとしています。

ところで、デンバー市では10年後の「2022年冬のオリンピック開催都市」として国際オリンピック協会に立候補をしようという計画が継続検討されています。

22名のメンバーからなる準備検討委員会が結成され、順次会合を開いていますが、隣のユタ州のソルトレークシティで2002年に開催された冬期オリンピックでの実績をベースに、デンバーでの開催費用を試算した結果ではその後のインフレ率も勘案して総費用金額は15億ドルに上ると見られており、この冬期オリンピックによる経済波及効果も換算してもそれらの費用調達が一番のネックとなりそうです。

デンバー市はかつて1932年の冬期オリンピック開催都市として立候補しましたが、この時は認められず、その後1976年の冬期オリンピック開催都市として国際オリンピック委員会で承認されたにもかかわらず、その直ぐ後の住民投票で開催の否決をされてやむなく辞退したと言う悪い実績があります。その後の1998年の冬期オリンピックにも立候補しましたが認められなかった、という経過もあります。

デンバーはロッキー山脈という背景を有しており、スキーのWorld Cupでは毎年シーズン開幕の初戦にはコロラドのスキー場が常に使用されており、早くからの降雪がある事から滑降可能となる時期が早く来る事、そして、世界各地が暖冬のため雪不足でオリンピック競技が困難なときでもコロラドでは大丈夫な事など、いろいろと他の地域に比べて有利な条件が揃っています。

なので、この2022年の冬期オリンピックの開催地として承認されても、その後で前回の様な住民投票で辞退するなどという事が再び発生しない様に充分民意を反映しながら、準備検討委員会では慎重に進めています。

「いろいろと解決しなくてはならない困難な課題が多々あるだろうが、隣のソルトレークだって出来たのだからデンバーが出来ない事は無い。」と言う声もあり、今後どうなるか注目されています。

あとがき

長い期間に及ぶ経済、景気の低迷によりアメリカ各地の各自治体は、租税収入が減少して来ているためいろいろと計画している事業が着手出来ず苦戦をしています。

私の住んでいるオーロラ市も同様で、これまでそれに手を付ける事はタブーとされてきた教育関係予算の削減や図書館の機能縮小などにも着手して、遣り繰りを行っています。

そんな環境下にあってそのオーロラ市では3月30日(金)を「Furlough Day」(公休日)と決めて公衆衛生及び市民の安全に関する部門の職員を除く全市の職員を一斉無給休暇日として市活動を一日休んでいます。

この今回の公休日の実施によってオーロラ市全体では約50万ドルの経費削減になるとしています。

既にオーロラ市では一昨年2010年には2日のFurlough Dayが実施され、さらに昨年2011年には1日のFurlough Dayを実施しています。そして今年はまだ何日の実施となるか確定はしていませんが、まず1回目の実施がなされました。

市民にとってみるとこの一日の公休日については市役所が年1回の3連休となったという事と同様ですから、予めこの事が知らされていれば大きな問題は生じないという事で、今年の1回目は無事終了しています。

また、市役所の職員にとってみると、年間この1日又は2日の無給公休日と言う事で仕事はせず休みとなるという事で、こちらも市にとってみればその収入が大きく減少している時期ですから異論を唱える人も出ず、一部の職員の解雇などを実施するよりは良い方法だという反応となっています。

かつて、アメリカの会社における労使関係としては、その業績により従業員の解雇を行う事が無く家族のようだ、と言われて来たHP (Hewlett Packard) 社では会社の業績が低迷した時には従業員の解雇は行う事無く、社長以下全社員の給与を一律にカットして業績の回復に努めた、という過去の歴史がありました。

しかし、そのHP社でさえも、近年の激しい事業低迷には対応しきれず、従業員の大量解雇が行われる様になってしまい、そのアメリカを代表する優良企業のHP神話も崩れてしまっています。ですが、以前のHP社の場合と異なり、今回のオローラ市の方法は公共の役所であり、苦しい時を乗り切るには非常にうまい方法と思われますし、市民達からも好感をもって受け入れられている方法であるという気がしています。

WRITER PROFILE

萩原正喜

萩原正喜

米国コロラド州から、米国のデジタル放送事情からコロラドの日常まで多岐に渡るコラムをお届けします。