コダック社のCineon形式誕生から20年。CGのHDR(広帯域ダイナミックレンジ技術)ブームからそろそろ10年、広帯域なRAWファイル収録を売りにするRED社がNABで衝撃的なデビューを果たしてからでも4年半。HDRの歴史は短いようで長い。今回は、Blackmagic Cinema Cameraの発売を機に、最新技術といいつつも実は映像技術の中では古参とも言える歴史を持つHDR技術について改めて振り返ってみたい。

まずは昔話から。といっても結構最近のことですが

2005年のSIGGRAPHのHDR技術の論文発表。Cineon登場から10年経ち、HDR映像が最も盛り上がったのがこの時期だ

私は年齢不詳な外見をいいことに映像業界最若手社長の一人ということで通しているが、実のところアルバイトも含めれば映像業界に入ってからはそろそろ20年、会社を興してからでも13年を越えてしまった。もちろん、まだまだ知らぬ顔をして業界最若手を自称し続けるつもりだが、残念ながらそれなりに業界変遷を見てきたのも事実である。思えばこの間色々なことがあった。この期間を振り返ってみると、机上の空論だった論文理論がCGとして映像化され、それが編集エフェクトとしてパッケージ化されて、ついには実写カメラの機能として降りてくるという過程の繰り返しだったと思う。なかでも、HDR(広域ダイナミックレンジ技術)はその代表格だろう。

さて、思い出話は適当に切り上げて本論に行くと、この十数年私がこだわってきたのが、24P、最終質感の統一、という所だ。この道具としてHDRはまさに最適であった。ビデオ撮影の現場合わせでの即席なやり方に慣れてしまうとついつい忘れがちだが、ライトの種類にもセットにも限りがある以上、現場で作れる色味には限界があり、ある程度以上は現像段階以降でいじるのは当然なのだ。昔はそれをフィルム現像段階でいじっていたのだが、デジタル化に伴い、その工程はコンピュータ上での後処理で行うことになった。そのために生まれたのがコダック社のCineonというデジタル編集機の形式で、これの誕生が1993年、市販開始が翌1994年となる。なんと20年近くも前の技術である。

学生時代から会社設立初期にかけて、私は米国で行われているデジタル映像系の学会発表「ACM SIGGRAPH」に積極的に参加していたが、その目当ての一つが、Cineonから始まったHDR映像の世界だった。実際、この時期から「イメージベースドレンダリング」という概念も注目され、撮影済みの素材からいかに再レンダリング処理を行うかというところに注目が集まっていた。これも、元々の撮影データに広いダイナミックレンジを持ったCineon形式の功績と言えるだろう。

Cineonは、フィルムスキャンの世界では爆発的に広がり、各編集ソフトやエフェクトソフトには必ずCineon対応の入出力が付属するようになったが、1997年にコダック社はCineonシステム自体の製造を停止してしまう。狭い映画の世界だけでは商売になりにくいのが悲しいところだが、何よりも早すぎた、というのが本当のところだろう。しかし、その優れたデータ形式は後の世にも残り、現在でもフィルム処理の基本となっている。

そして一気に花開くHDR技術

2007年NABでのColorのプレゼンテーション。あまりの大人気で、会場ブースから溢れている

Cineon登場から10年経った2000年代中盤になると、CGやエフェクト映像など、合成する方の素材だけ高品位でもしょうが無い、ということが業界一般に知られるようになってきた。しかし、その反面、いちいちフィルムスキャンをするのはコストがかかり、映像産業は世界的に、一気にお手軽便利なビデオ映像へと流れつつあった。これはDV端子の登場によりビデオカメラでは簡単にデータ取り込みができるところによる。やはり、初めからデジタルネイティブで撮影出来なければ意味が無いのだ。

この時期、ビデオ全盛の流れとフィルムクオリティの維持の矛盾に苦しむカメラメーカー各社が、ハイエンドデジタルネイティブシネマカメラの試作や大手プロダクションに対する小規模な販売を行っていたが、何しろ肝心の後処理の環境自体が整っていなかったので大きく広がっているとは言いがたかった。この時期までは、HDR映像とはあくまでもフィルムスキャンをしたCineon形式のことで、大手プロダクションの大物商用作品に使われる技術だったのである。

この停滞を大きく時代を変えたのが、AppleのFinal Cut Studio 2に付属していたColorの登場だろう。2007年、各社のハイエンドシネカメラの動きに先駆けて、Final Cut Studioにもカラーグレーディングのソフトウェアが同梱された。これがColorで、それまでの色味の失敗を直すカラーコレクションでは無く、初めからHDRなどで色を広めに撮影して置いてその範囲内で積極的に色味を創造するカラーグレーディングのためのソフトウェアだ、という宣言が強烈であった。これにより、既にHDRが当たり前となっていたCGやエフェクトとの相性も良くなり、なによりも、フィルムに負けない最終品質を誰にでも取り扱うことが出来るようになったのだ。これによって、HDR映像の必要性が一般の映像クリエイターたちに意識されはじめたのである。

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2008年NABでのRED ONEの展示。REDブースは大混雑、大量のテストカメラをひっさげてきたため、こうしたRIGメーカーなどで参加者が自由に触ることが出来た

そして翌年、2008年のNABにおいて、あの伝説のカメラRED ONEが大々的に発表された。これによって、一気に、フィルムスキャンの工程を介さない、デジタルネイティブでのHDR映像撮影が一般クリエイターに認識されることになった。REDの素晴らしいところは、スチルカメラでもおなじみのRAW収録、一般化されつつあったFlashメモリ収録、フィルムにサイズを揃えた大判素子など、技術的にはどこも超越したところが無いのに、それをトータルすると数千万円のハイエンドカメラ群にすら全く今までに無かったカメラとなったところであった。

4Kネイティブ撮影可能なカメラはこのRED以外には存在せず、しかも、それが、1000万円を大きく切るちょっとした高級車並みの価格で出てきたのだから、業界は震撼したのである。個人クリエイターや零細プロダクションでも、デジタルネイティブのHDR映像を撮影出来るようになったのだ。

ハイエンドカメラのハイエンド環境を要求するハイエンドデータはどんなに出来が良くとも所詮ただの特殊データに過ぎないが、各社が安価に触れるようになれば、それはフィルムと同じだと言っていい。これはまさにデジタルフィルムの登場とでも言うべき革命的な出来事であったのだ。

RED ONEの登場で認識されたのは2点の事

一つは、RAWを始めとするHDR映像や撮影後に色を作り上げるカラーグレーディングの重要性。これはすでにAppleがColorで環境を整えていたために、比較的容易に対応出来た。二つ目が、センサーサイズそのものの問題点で、要するに、フィルムと同じサイズに切りそろえられたセンサーは、フィルムと同じような映像を吐き出すことが改めて認識されたのだ。

この二つ目の問題は、同年2008年秋のPhotokinaにおけるCanon EOS 5D Mark IIの登場で再認識されることとなった。フルサイズセンサーを積んだ同カメラに搭載されたおまけ機能のフルHD動画は、ただのおまけ機能の枠を越え、フィルムに近い、あるいはフィルムを越える新しい表現として世界中の映像クリエイターたちの話題をさらったのだ。フィルムサイズの素子はフィルムと同じ絵を出す。それにフィルムと同じようなダイナミックレンジがあればそれはフィルムと変わらない。そんなシンプルな話であったのだ。

そして舞台は日本へ

2010年発売のAG-AF105は、大判素子カメラとして先陣を切った。しかし、HDR対応は従来のビデオカメラの延長線上のものであった

ここから、カメラメーカー各社の開発競争がスタートする。大判素子シネマカメラに先陣を切ったのが、我が国日本のメーカー、2010年末発売のPanasonicのAG-AF105であった。しかしこれは、AVCHD収録という実験機的要素があり、また、HDR対応も、従来のハイダイナミックレンジ映像の延長線上の3段階レンジの機能しかもってないものであった。あくまでも大判素子に注目したカメラであったのだ。しかし、レンズ交換式で豊富なレンズ群が使えるとあって、マニア必携の一台となった。

2011年発売のC300は、大判素子レンズ交換式カメラで、LOGガンマを大々的に採用し、話題をさらった。写真は2011年のInterBEE

続いてやはり日本で激震が起こる。2011年、日本のカメラメーカーCanonがCinema EOS C300という怪物カメラをリリースしてきたのである。これは、フルHDという画像サイズ、QuickTime収録ながら、対数ガンマを大々的に採用したレンズ交換式カメラで、センサーサイズもスーパー35mmに揃えられており、まさにフィルムのような映像を撮影出来るカメラだったのだ。

しかし、C300の誕生前後には大きな問題点があった。Canonカメラはシネカメラとしては未知数だったためその独自LOGガンマのソフトウェア対応がなく、どのようにしてこれをカラーグレーディングするものか、道筋がまったく見えなかったのである。Canon自身もシネカメラに不慣れなのかオリジナルDeLogデータの提供が遅れた上、折悪く、Apple Colorが2011年6月のFinal Cut Pro Xへのバージョンアップで消滅してしまい、新型カメラへのColorの対応が絶望的になってしまったのである。

業界のディファクトスタンダードであったFinal Cut Proがコンシューマー向けソフトであるFinal Cut Pro Xへと大きく変化してしまったことと、それに伴うApple Colorの事実上の廃盤は、業界全体の方向性に沿ってカラーグレーディングを前提としたシネカメラの開発を進めるCanonにとっても、全く予想外であったことだろう。

しかし、これは幸い思わぬところから救われることとなった。オーストラリアの格安映像機器メーカーBlackmagic Design社が、同社製ハイエンドカラーグレーディングソフトウェアDaVinci ResolveのフルHD対応版を、C300の発表直後に合わせてLiteと銘打って無料でリリースしてきたのである。発表時期から見ても、明らかにCanonユーザーの囲い込みを狙い撃ちした対応とも言えたが、CanonのC300は、これによって救われたと言っていいだろう。

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RED Scarlet XはハイエンドRAWカメラが個人クリエイター価格に降りてきた衝撃的なカメラだ。写真は2011年InterBEE

しかし、それに手をこまねいてみている海外勢では無い。HDRデジタルフィルムカメラの元祖とも言うべきREDが、一般クリエイターが気軽に購入出来る廉価版のREDカメラ、RED Scarlet XをC300発表の翌日にリリースしてきたのである。このカメラは、RED社従来通りのRAW収録機ながら、転送速度以外では同社最高製品のEPICとほど同じ性能を持ち、そのため、5K動画やハイスピード映像以外では全くEPICと同じクオリティの映像を撮ることが出来るカメラながら、なんと、日本円で100万円前後という格安本体価格で売り込んできたのであった。

REDは元々現像ソフトウェアを同梱している上、ファイル形式は業界標準化しつつあったRED独自のR3D形式なので、出力面での不安も無かった。まさに万全のミドルレンジシネカメラであったのだ。しかし、実はこのRED Scarlet Xの発表は、ある一つの理想を犠牲にして成り立っていた。このカメラの発売は、RED社がそれまで提唱していた「3K for 3K(3000ピクセルのカメラを3000ドルで)」という理想を放棄したことを意味していたのだ。

RED社のそれまでのロードマップに寄れば、RED ONEやEPICなどの4K RAW機器はあくまでもハイエンド商用映画向けで、零細企業や個人クリエイター向けには、Scarletという3000ドル後半の価格帯の3K RAWカメラを販売することになっていたのだ。その理想を放棄した代わりとして、ハイエンド機器とほぼ同じものを1万ドルで出してきたわけなのだが、ローバジェット映像が多いそうした零細個人クリエイターには、1万ドルというミドルレンジ価格はまだまだ厳しいものであった。

映画の世界では飯を食いにくいのは、なにも日本に限ったことでは無いのであるが、元々こうしたHDR撮影技術というのはローバジェットの世界でこそ力を発揮するものなので、そこで100万円のカメラというのは、なんとも微妙なラインであったのだ。

受け継がれる理想

Blackmagic Cinema Camera。25万円前後と、とにかく安いRAW&LOG収録カメラ。特に凄い機能は付いてないが、HDRに特化したカメラだ

そして、その5ヶ月後、この理想は他のメーカーによって引き継がれることになる。NAB初日、Blackmagic Design社がBlackmagic Cinema Camera(BMCC)と題して、2.5K RAW収録のカメラを2500ドルで出してきたのである。これはまさに「3K for 3K」の上を行く「2.5K for 2.5K」であり、零細個人クリエイターがローバジェットで運用しても全くコスト的に見合う素晴らしい価格帯だ。

同社によるカメラ開発は2011年のInterBEEにおいてDaVinci Resolve Liteの無料提供を言い出したときから噂されていたのであるが、それにして素早い対応で、NAB参加者たちは完全に度肝を抜かれた。正直言って、Blackmagic Design社からカメラの発表があるにしても、2012年秋か、あるいは2013年の発表だと思っていたのである。

しかもこのBlackmagic Cinema Cameraは、最大の売りの2.5K RAWだけではなくQuickTimeによるProRes収録にもネイティブ対応しており、Canon EOS C300のようなLOG中心の使い方も出来る。格安ながらも、まさにHDRに特化した本物のシネカメラなのである。しかも、DaVinci Resolve 9の解像度無制限の正規版がオマケについてくるという太っ腹振り。このカメラ一つあれば、あとは周辺機器とMacを買うだけで、撮影から現像、フィニッシュまで出来てしまうのである。

代わりに、BMCCには一般のビデオカメラにあるような機能はなにも付いていないが、そうしたビデオ機能が必要な撮影には安価なビデオカメラを使えばいいのである。BMCCは、そうした機能を全て切り捨て、さらには何かと高価になりがちな35mmフィルムのセンサーサイズではなく、フィルム時代末期の事実上のスタンダードであったスーパー16mmフィルムサイズに特化することで、一気に値段を下げてきたのである。24Pの世界において、最終クオリティを管理統一するためには、HDRという手法しか無いし、それがついに現実的にコストを意識せずに自由に使えるレベルにまで降りてきたのは諸手を挙げて歓迎する他無い。

ここからもまだまだHDR映像の発展は続く

この後、BMCCと同じく16mmフィルムを意識したHDRシネカメラとして、Digital Bolexの登場が予想されている。これは、16mmフィルムカメラの名機Bolexを同カメラのファングループがデジタル化して販売しようという試みで、投資サイトなどで多額の投資を集めて順調な開発が進んでいるようだ。また、CanonからもAVCHD機ながらHDRガンマを積んだ小型機、EOS C100の発売が発表された。その他のカメラメーカーからもHDR対応カメラの噂は聞こえてくる。この秋のアムステルダムIBC、ケルンPhotokina、そして幕張のInterBEEでは、続々と、こうした最新の広帯域ダイナミックレンジ対応カメラが発表されると予想されているのである。

これに合わせてソフトウェアやコンシューマへの映像提供環境も今後大きく変わってくるのだろう。改めてこうやって振り返ってみると、HDR映像20年の歴史が、今、まさに花開こうとしていることがわかる。20年の年月を掛けて、デジタル映像は、今ようやくフィルムと同等の映像にようやく到達しつつあるのである。これからも、HDR映像、そしてそれを実現するデジタルフィルムに注目して行きたい。

WRITER PROFILE

手塚一佳

手塚一佳

デジタル映像集団アイラ・ラボラトリ代表取締役社長。CGや映像合成と、何故か鍛造刃物、釣具、漆工芸が専門。芸術博士課程。