横山さんが校長を務めるInternational School of Motion Pictures(ISMP)は、LAのトーランスにある日本語で授業が受けられる映画学校。ハリウッドの現場スタッフから直接講義や本物のロケ現場を通じて、映画制作全般を学ぶことが出来る

一個人として映像制作の中で最も興味を持っている分野は、筆者が元々雑誌編集者という経歴もあってか、やはり編集の部分である。冒頭から個人的な話で恐縮だが、私がこの映像製作ツールの世界に関わったきっかけの一つは、Avidなどのノンリニア編集システム(NLE)がこの世界に入ってきたことから始まった。

90年代中ごろ、まだテープによるリニアのアナログ編集が隆盛だったころ、NLEの先駆けとなるAvid社から「Film Composer」「Media Composer」といったコンピュータシステムで映像を自由に編集出来るシステムが登場してきたことで、映像制作とデジタル・テクノロジーの世界が急速に接近しはじめた。当時はまだ全てがすべてシステムセット販売の数千万もするターンキーシステムだったが、これをきっかけにデジタルの波がこの業界を飲み込み、そこから約10年でビデオ編集はほぼ完全にNLEへと移り変わった。

Apple Final Cut ProがVer.2あたりで、その機能を満たして後の2005年ごろで状況は一変し、放送、映画といったハイエンドの制作も08年ごろにはほぼNLEへと移管されたように思う。リニア編集室も次々と閉鎖され、今ではNLEも次第に家庭のデスクトップマシンであっても、ほぼ完璧な編集作業が行えるスペックを持つようになった。

しかしNLEがデジタル化し機能も大きく進化したことで、出てくる映像作品の質が編集的に飛び抜けて向上したのだろうか?たしかにトライ&エラーは何度でもできるし、過去の編集結果に何度でも立ち返ることの出来る機能は、編集者にとってとても便利なツールになった。またエフェクト等の簡単なVFX、トランジション、テロップなども専門家でなくともある程度は出来る身近なものになった感はあるが、肝心のストーリーテリング(物語を語り、映像で何かを伝える)という部分においての編集技術がNLEによって向上したのか?という点においては、機能向上とともに向上した、とは言い切れないのではないだろうか。むしろ多くの映画祭がデジタル一眼ムービーで簡単に撮ってNLEで即編集、といった作品が増える中で、その「物語」としての質の低下は様々な所から聞こえて来る。

そもそも日本の制作では、あまり編集に重きを置いていない制作ワークフローも多い。さらにほとんどの編集者には作品における編集権を認められていないし、ミッドレンジ以下のほとんどの作品は撮った人がそのまま編集しているケースが殆んどで専門の編集者は存在していないのである。

映像編集、とりわけドラマや映画といったものに代表される長尺モノや膨大な素材映像の中から伝えたいポイントを抽出しなければならないドキュメンタリー作品はもちろんのこと、企業VPなど解説ビデオ、そして最近流行のシネマティックなウエディングムービーなど、何かをその時間内で伝えたいという映像作品には、たとえ5分、10分の作品の中にも、映像の編集技法がちゃんと守られていて、しかも良い映像と斬新な見せ方といった「編集」が存在することによって、伝わる内容も密度も、そして心に訴える感動も大きく違ってくるのではないだろうか。

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映画編集者の横山智佐子さん。6月の来日では東京、静岡、大阪、広島で講演会とセミナーを行った

この6月、米ロサンゼルスに在住し、映画編集の世界でこれまで『リトル・ブッダ』(ベルナルド・ベルトリッチ監督)、『グラディエーター』『ハンニバル』『ブラックホーク・ダウン』『アメリカンギャングスター』(リドリー・スコット監督)、『グッド・ウイル・ハンティング/旅立ち』(ガス・ヴァン・サント監督)、『SAYURI』(ロブ・マーシャル監督)など、過去20年以上の間、数々のハリウッド映画の第一線の現場に携わられて来た映画編集者、横山智佐子さんが来日された。今回は横山さんが校長を務めるLAにある日本語で学べる映画学校、International School of Motion Picture(ISMP)のプロモーションを兼ねた来日で、ちょうど筆者の主宰するイベント企画CPP:CreativePowerPlayとのジョイント企画として、日本各地でのセミナーイベント、講演会などに同行させて頂くことができた。そしてその折々のお話の中で、やはり編集こそが映像作品作りにおける一番のポイントであり、最も映像作品を仕上げる中で重要なプロセスであることを再認識させられた。ここではその一部をご紹介したいと思う。

切って貼るだけが編集ではない!三つの編集の基本

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広島の会場では「ハリウッド映画を数倍面白く観る方法」と題して、一般客も含めた映画ファンにハリウッド映画の制作裏話を通じて、映画編集の魅力等を語って頂いた

たまに耳にする話で、撮影では脚本通り撮ったのであとは編集者に任せきりで編集室にも来ないといった監督もいるという話を聞いた事があるが、映画製作者としては甚だ疑問の残る行動だ。そういう方は舞台芝居の演出をやれば良いのであって、映画はやはり編集こそが作品として紡ぎ上げて行く作業の一番の醍醐味であり、編集室での作業を心待ちに楽しみにしている監督さんも多い。しかしそこにちゃんとした編集者の視点があるのか?という部分においてはなかなか日本で実現出来ているチームも少ないようで、どうその作品が編集されたかのプロセスは実に興味深い。ハリウッドでは実際に第三者としての編集者が作品に果たす役割は大きく、作品の構想者であり首謀者でもある監督の良き女房役であるという。

『グラディエーター』(2000年)では、横山さんはエディターであるピエトロ・スカリア氏の1stアシスタントエディターを務めている。この作品でもリドリー・スコット監督の良き女房役としてアカデミー編集賞も受賞したピエトロ氏の功績がかなり大きかった。

横山氏:ラッシュを見て編集を進めて行くうちに、ピエトロが「この映画は単に、主人公のマキシマス(ラッセル・クロウ)がコモドゥスへ逆襲するという果たし合いの映画ではなく、妻と息子のいる平和な場所へ帰りたいという望郷の想いをテーマにした作品にすべき」という見解を示し、それに基づいて幾つかの追撮が行われました。冒頭の小麦の穂ををなでるシーンも実際の脚本にはなく、たまたま撮ってあった素材がこの望郷のテーマを象徴するシーンとして強調される事になり、結果として深い内容の作品になったのです。

日本ではあまり考えられない事なのかもしれないが、ハリウッド映画の編集では脚本通りに編集される事はまず無い。脚本=活字であり読むもので、編集=映像と音で観るものなのである。そして誰もが編集を最も重要視していることを示す言葉として良く語られているのが“Film Editing is where re-Directing and re-Writing happen.”、つまり「編集とは再演出、および脚本が書き直しされる場」なのである。

こうした判断をするためには、多くの素材を見て並べて、その場面を成立させるのに必要なショットが揃っているか?、このカットで何を伝えるべきかを考慮し、そのための流れをどう構成すれば観客により伝わるのかを構成し直して行くことそこが、編集者の最も重要な役割なのである。それには基本の編集ロジックを知識として理解しておくことは重要だ。

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横山氏:編集の基本は大きく三つあります。1つは物理的なわかり易さ。これは撮影素材から必要なショットがちゃんと撮影されているのかをチェックすることから始まります。どんな場面を順次解説していく「エスタブリッシュショット」や対象物とそれを見ている人に180度ショットが変わる「ショット・リバースショット」、日本では「イマジナリーライン」と呼ばれる「180度線ルール」や「アイライン・マッチ」「カット・オン・アクション」等など、ハリウッド式編集は「コンティニュイティーエディティング(連続性編集)」と呼ばれ、ストーリーの中で物理的なことをより分かりやすくするための編集技法が数多く存在します。

2つめは物語のわかり易さ。ストーリー構成重視のための脚本の基礎的な方法論として「6段階プロット脚本構成」という脚本の基本的な技法が存在します。全ての作品が必ずしもこの論法に当てはまる訳でありませんが、編集者が長い間編集してきて、迷ってしまったときにはこの6段階プロットに戻る事で頭の中をクリアにすることが出来ます。このプロセスから編集することで、何が足りないか、何が長過ぎるのかを見いだし、その結果として脚本の変更、追撮、ナレーション、テロップ付けなどが行われます。

3つめは感情のわかり易さ。この役者の演技はどこを見せるべきか、また観客はどこを見ているのかなどを考えて編集することです。

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特に脚本術における「6段階プロット」はあまり日本では馴染みが無いかもしれないが上図のような構成で、これは多くの映画作品を生み出して来たハリウッドがそれまでの膨大な資料(マーケティングの結果)を基に、1970年代に脚本論として確立されたという。人は大概の場合、2時間作品の中でこうした構成で編集されていることで、万人が共感を持ちつつ感動出来る方法論が、基本ロジックとして存在する。作品全体を100%と想定し、まず最初の10%部分で話の大筋を解説し、25%までで何かの出来事が起きて、50%までにその進展があり、後半75%に向けて大きな展開や危機が訪れて、全体の90%頃に迎えるクライマックスまでに問題解決に向けた大きな展開が…といった基本の流れが存在する。 ハリウッド映画の基本的な脚本はまずどれもがこの「6段階プロット」を基本に構成されているのだ。

これがあることで、物語の組み立て、いわゆるストーリーテリングと呼ばれるお話の組み立てには大きな指針ができる。よくハリウッド式脚本論の話で引き合いに出される作品としてアカデミー作品賞にも輝いた『アメリカン・ビューティー』(1999年:サム・メンデス監督)があるが、まさにこの「6段階プロット」に則って正確に作られている作品としても有名なので、時間を計りながら参考にしてみてはいかがだろうか?

ただし、この6段階プロットの技法に囚われ過ぎると、逆に作家性が失われたり、どれも同じような展開の作品になったりといった弊害ももちろんある。しかしどんな技術でもそうだが、基本を知って変化を付けるのか、基本を知らずして好き勝手にやるのかでは、その差は歴然だろう。

オーディエンスプレビューによって編集は大きく変わる

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特別講義やセミナーでは、普段聞けない映画編集の技法に関して連日熱い講義が行われた

横山氏:ハリウッドではまず撮影している期間と並行して編集室が立ち上がります。そこでは撮り上がって来た素材をまず脚本通り並べる作業が行われ、膨大な撮影素材から私たち編集者が必要なカットを選び出します。2時間映画ならば最初に出来上がるのは3〜4時間のカットで、これがクランクアップ時には脚本通り並べられたものとして出来上がっています。ここからが本当の編集作業が始まります。

編集作業を映画関係者の誰もが最も重要視するハリウッドでは、編集期間に最も多くのスケジュールが割かれるケースが多い。メジャー作品であれば約6ヶ月もの編集期間があるが、編集がロックピクチャー(プロデューサー全員がOKを出した最終カット)にならないと長い時は1年も2年も編集期間は続く。そもそも本編に対する素材映像の量は、最低でも1:40、大作ともなれば1:100というのが当たり前で、2時間の映画であれば200時間分の素材が存在することになる。その全てを観ているのはアシスタントを含む横山さんたちのような編集者しか居ない。本格的な編集期間6ヶ月には大きく3つの工程がある。

横山氏:まず10週間(約2ヶ月)、監督と編集者だけで編集する「ディレクターズカット期間」が設けられていて、ここでまず大体の作品の骨格が固められるのです。これが出来上がって来た段階で、その次にあるのが一番の難所である「プロデューサーズカット期間」です。ここで多くの監督はプロデューサー達と作品の善し悪しについての議論を闘わせ、編集室が一番気まずい時期になります(笑)

いわゆる作家性を重視する制作者視点なのか、売れるものヒットするものに重点を置く企業視点かでのせめぎ合いが数ヶ月起こる。これは日本でもある光景かもしれない。こうしたプロセスを経て優れた作品は編集されて行くが、その次にある日本にはないシステムが「オーディエンス・プレビュー」である。

横山氏:プロデューサーカットが終わった段階でオーディエンスプレビューが行われます。これは映画館前などでランダムにスカウトした一般客を集めて実際に試写を見せてアンケートを取り、一般の観客にこの作品がどう見えているのかをテストする試写会です。このアンケートの採点によって更なる再編集が行われます。この採点を重要視するプロデューサーは多く、あまりに点数が悪いと編集チームごと解雇されるケースもあります。特に重要視されるのが「あなたはこの作品を他人に薦めますか?」という質問に対する回答です。

つまり公開時はある程度のマーケティングが行われた段階で公開されるのだ。オーディエンスプレビューは、良い意味でも悪い意味でも映画産業としてハリウッドが真剣に取り組んでいる部分の表れであるようにも思う。これはちなみに日本でも少しずつだが取り入れられて来ているようで『るろうに剣心』(2012年:大友啓史監督)では実際にこのオーディエンスプレビューが数回行われており、それによって一部が再編集されたという。これも大友監督がハリウッドで学んだ経緯があることや、制作配給がワーナーブラザースであることも背景にあるのだろう。

横山さんのCPPセミナーでは、受けて頂いた多くの方には上記の内容等で多くの共感を頂いた。聞けばそういう映像編集にもロジックが存在するのか?といった目からウロコだった方も多かったように思う。またこれは偏見や誤解と捉えられるかもしれないが、これまで多くの映像クリエイター、制作者の方とこれまで取材を通じてお話をしてきた中で強く感じたのは、そもそも日本では映像編集の基本知識や編集ロジックというものを知らなかったり、知識として持ち得ていない方も多いのではないか?と感じている。

デジタルビデオカメラの高性能化とNLEの進化によって身近になった映像制作。これにより制作体制の細分化/個人化が急激に進んだ。撮影所システムが無くなった映画製作、テレビ局も多くの制作人員が外注業者という現実、大手ポストプロダクションも人員削減等、残念ながら日本の映像制作を支え、映像人としての技術を伝えて来た徒弟制度は残念ながら崩壊しつつある。こうした状況もその知識が伝承されていない要因なのだと思う。

NLEでトライ&エラーが何度も行えるようになったことは、確かにデジタル映像制作における一番の功績だろう。他の機能も上がる事でIT的な運用や、処理の効率化には繋がっている。しかし本質的な作品の質の向上という部分では、やはり上記の編集技法といった人が考えて作り上げて来たノウハウの伝承こそが、いまだからこそ再び、最も重要だと感じてきた。

確かに編集作業に正しい回答など無いし、横山さんのような経験豊富なプロでもそうした回答をされていた。その回答に少しでも近づけるようなノウハウと、NLEの優れた機能が両輪で備わっていることこそ、最終的には作品の質の向上ににつながるのではないか?だからこそ、NLEにはIT的な作業効率と運用効率ばかりでなく、もっと編集リテラシーにも接するような機能への進化を期待したいし、すでにある編集本意の機能でも、その編集ロジックを知らないために使われていない機能も多くあるという。だからこそ編集者自身には特に、基本の編集や脚本のロジックについてもっと積極的に学んでほしいと思うとともに、映像制作のワークフローの中で「編集」こそ最も大切な工程であることを再認識してほしい。

WRITER PROFILE

石川幸宏

石川幸宏

映画制作、映像技術系ジャーナリストとして活動、DV Japan、HOTSHOT編集長を歴任。2021年より日本映画撮影監督協会 賛助会員。