WWDCに現れたカメラとは?

2012年6月11日(日本時間12日早朝)、Apple社主催で開かれたApple社製品向けソフトウェア開発カンファレンス「Worldwide Developers Conference(WWDC)」において、発表されたRetinaディスプレイ搭載型新型MacBook Pro(MBPR)は、15インチディスプレイモデルながらも、2,880×1,800という驚異的な解像度と2.02キログラムという軽量さを併せ持つ性能で各方面に衝撃を与えた。その発表では様々なジャンルでの使用実例モデルが示されたが、映像業界向けには、あるカメラがMBPRに直接接続されている姿が展示され、大きな衝撃と共に話題をさらった。

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特に、日本ではその衝撃は大きかったと言っていいだろう。なぜなら、そこに現れたのは、定番の日本のメーカーであるSONYでもPanasonicでも、ましてやCanonのカメラでもなく、今までカメラを作ったことの無いオーストラリアの放送機器メーカー、Blackmagic Design社の新型カメラ、Blackmagic Cinema Camera(BMCC)だったからだ。

NABで囁かれていた、Blackmagic Cinema CameraとMBPRの親密な関係

Blackmagic Cinema Camera(BMCC)は、WWDCに先立つ2012年4月、NABにおいて、衝撃的な登場を果たしたシネカメラである。その特徴は、2.5K Adobe Cinema DNG方式によるLogガンマRaw収録と、EFマウントによるレンズ交換式機構、そしてなによりも、日本円にして25万3000円という破格の安さであった。

今まで、Raw収録と言えば、シネカメラの中でもハイエンドの機能であって、数百万円クラス以上のカメラに付いているもの、というのが常識であった。それが一気に業務用カメラとしてはローエンドの価格帯に登場したのだから、驚く他無い。しかも、Blackmagic Design社と言えば、広範な販路展開で格安な業務機器を立て続けに出してきたメーカーであり、今回のBMCCも今までの機器と同様、手に入りやすい流通経路と、そして何よりもその価格から来る使い捨てに近いコンシューマ製品的な使用感で売り込んでくるのではないかと予想される。驚異の価格戦略であり、そもそも市場が小さいシネカメラの世界においては、脅威であると言えるだろう。

ただ一方で、NABの時点では、日本のカメラメーカーには安心感もあったと言っていい。なぜなら、業務用カメラの中でもシネカメラというのは市場が独特であり、また、周辺機材のサポートも必須となっているからだ。特に、Raw収録となれば、その後処理系統は通常のビデオカメラとは比較にならないほど困難であり、その処理システムを安定してユーザーに提供するためには、映画業界での豊富な経験と、なによりも編集ソフトウェアメーカーやカメラサポート機材メーカーなど各サードパーティ向けに素早く展開できるだけの膨大な営業努力と積み重ねが絶対に必要で、カメラの世界で新参者に過ぎないBlackmagic Design社には、そうした経験も業界サードパーティへの影響力も不足していると考えられたからだ。

NAB会場では、こんな言葉が囁かれていた。「なぜ、Macなのか?」と。

過去のBlackmagic Design社の製品は、特にMacに特化したものでは無い。むしろ、キャプチャボード類などではWindowsでしか動かない機器も普通に存在している。しかし、NABにおけるBMCCの展示に関しては、全くこれが異質であった。会場でBMCCと共に置かれていたのは、つねにMac。それも、決まって15インチのMacBook Proだったのだ。

BMCCはThunderboltコネクタが使われており、これは今のところ大手メーカーPCではMacにしか存在していない。また、バンドルされたカラーグレーディングソフトも、Win版こそ同梱されるものの、Mac中心に展開されているDaVinci Resolveが用いられている。そのため、Macがそばにあるのは自然ではあるのだが、デザインまでアルミ削り出しのMacスタイルに合わせてあったことには、やり過ぎでは無いか、という疑問が湧いていたのだ。

NAB会場初日の写真。Blackmagic DesinブースはBlackmagic Cinema Cameraで大混雑だった

その噂が根強かったのには、Thunderboltコネクタだけで無く、BMCCの2.5Kというその解像度にも原因があった。元々、Apple社からRetinaディスプレイ搭載のノートマシンが出るのでは無いかという噂は、昨年末くらいから流れていた。これは、韓国で量産の噂があった高解像度液晶ディスプレイがiPad向けには大きく、ノートPCに適切なサイズであろうと予測されたことに由来している。素材の流通から見てもどこかの誰かがノートPCサイズの高精細液晶の大量発注をかけているのは間違いが無く、それがApple社では無いかという憶測があったのだ。

もしもMBPRにこの高精細液晶を搭載するとすれば、15インチモニタにおいては2.8K~3.2K程度となることが予想された。読者諸賢もご存じの通り、本来、いまの映像の流れは、フルHDの次は4Kという流れである。なのにBMCCは、この2.5Kという不可思議なサイズだ。Blackmagic Design社からはコスト削減のためだというアナウンスがあったものの、せっかくの記念碑的シネカメラを、なぜ今わざわざ半端なサイズで出すのだろう。高解像度液晶に関する憶測とこの2.5Kという数字を合わせて考えると、BMCCの解像度は、まさにそこをターゲッティングしたものではないかと考えられたのだ。

そのため、WWDCの大画面でのMBPRに接続されたBMCCの衝撃的な登場は、多くのNAB参加者にとっては「ああ、やっぱりな」という感慨と共に受け止められたのである。それと共にあの瞬間、シネカメラの歴史が変わったことも理解された。つまり、この25万円強の安いシネカメラというのはAppleが認める程度には間違いなく本物で、BMCCに不足していた撮影後の後処理の問題と、周辺機器の問題に関する不安はWWDCの後は存在しなくなった、ということだ。何しろ、映画・映像の世界において、Apple社よりも経験豊富なPCメーカーは存在しない。Blackmagic Design社に不足していたものは、はじめからBMCCがApple社が出すRetinaディスプレイ対応機であった、という前提でものを考えれば、全て消えてしまったのだ。

こうしてNAB以来、海のものとも山のものとも付かない怪しいカメラという立ち位置であったBMCCは、WWDCの後おそらく実用に耐えるシネカメラであるはずだ、という前提で世界のフィルムメーカーたちに受け止められることになったのである。

NAB会場Blackmagic Design社ブースで、なぜか一等地のガラスケースに置かれているのはMacBook Pro。同社ブースは例年に無くMacだらけで、NAB当時から不思議がられていた

BMCCとRetinaディスプレイがもたらす新しいワークフロー

東京においては秋葉原で行われたBMD社のNAB報告会。イベント会場では、BMCCの実機が実働展示され、参加者は自由に触ることができた

では具体的に、BMCCとMBPRによって、何が変わるのだろうか?それがわかるのが、Blackmagic Design社が5月末に日本で行った、NAB報告会での風景だ。

このイベントで繰り返し聞いたのが「このカメラは従来のハイエンドなデジタルシネカメラを置き換えるものでは無いが優れたシネカメラである」「フィルムメーカーが個人でも所有、運用できるが、カラーグレーディングまで完璧にできる」という意図の発言だった。これはつまり、そうしたハイエンドカメラとは異なる小さいセンサーと安価な値段の本格シネカメラである、というだけで無く、カメラの目的そのものが従来のハイエンドデジタルシネカメラとは異なるものであることを示している。

まず、そもそも、デジタルシネカメラとはなんなのだろうか?従来の業務用デジタルビデオカメラは、ハイエンドのものを除き、良くも悪くもビデオカメラの延長線上であり、連続した動画を撮るものであった。これに対して本物のシネカメラであるフィルムカメラは、毎秒24枚の写真を撮るものであって、そうした動画とはまた違うものとして受け止められてきた。

両者は処理工程も編集工程も全く異なっていて、同じようなコンピュータ編集やエフェクト作業であっても、ビデオでは動画ファイルを多くは音まで入ったままひとかたまりのものとして扱うのに対し、フィルムでは、音は音で別工程とし、映像は全てのコマをばらばらにしてCineonなどの形式で取り込み、毎フレームばらばらの静止画を連番ファイルシーケンスとして読み込んで作業を行うワークフローとなっている。

このようなフレーム単位で制作を行うことによる映像精度と徹底的な色味や質感の追求こそが、フィルムが映像の王者で有り続けてきた理由であるし、シネカメラを名乗るからにはその追及ができなくてはならない。ただのインターレースとプログレッシブの違いだけでは無く、どんなに値段が高くても動画ファイルだけを扱うビデオカメラはただのビデオカメラであり、それをシネカメラと呼ぶことはできないのだ。

しかしそうは言っても、このデジタル化の時代にいつまでもフィルムだけを使っているというわけにもいかない。その差を埋めるのが、昔ながらのCineonであり、最近話題のRawやLogである。フィルムをスキャンして取り込んだり、ビデオカメラで撮られて動画ファイルとしてひとかたまりになってしまった映像を、ばらばらのコマにして、毎秒24枚の写真に戻すための作業に必要なのが、そうしたHDRI(ハイダイナミックレンジイメージ)技術であり、出来上がったファイル群は、デジタルフィルムとでも呼ぶべきものとなっているのである。

これに対し、ハイエンドデジタルシネカメラはビデオワークフローからフィルムワークフローへの変換という作業負担を排除して、初めから連番ファイルやもしくはLogなどのHDRIを駆使したデジタルフィルム形式で収録するのが特徴であり、ビデオカメラの特徴である動画ファイルの生成を重視していない。ハイエンドデジタルシネカメラは、あくまでもフィルムカメラをデジタル的に模倣したものといえる。

そして、BMCCもこのデジタルフィルムでの連番収録の仕組みを持っているカメラである。しかもそのデジタルフィルムのファイル形式は、Adobe CinemaDNGという汎用形式だ。そのダイナミックレンジは、16bit以上のセンサーからの生情報を12bitのデジタルファイルにLogガンマを使って圧縮し、13Stopsものダイナミックレンジを実現した、極めて優れたものである。従って、BMCCは値段こそ安いものの、ビデオカメラでは無く、確かにシネカメラなのだ。

では、そうしたハイエンドシネカメラとBMCCは、何が違うのだろうか?

その答えは、使い方である。BMCCは、そのセンサーサイズも重量もそして値段も、明らかにかつてのスーパー16mmフィルムを意識した製品なのだ。

16mmフィルムやその拡大版であるスーパー16mmフィルムといえば、かつてはアマチュア映像作家にとってのハイエンド、プロにとってのローエンドであり、その比較的小さなフィルムサイズから、レンズや本体の価格も安く、運用コストも控えめで、なによりも、小さいイメージサークルのためにボケが発生しにくく、フォーカスがさほどシビアでは無いためにワンマンでも気楽に触れるフィルムという特徴を持っていた。

それに対し、今までのハイエンドシネカメラはスーパー35mmフィルムを意識した製品群であり、最終的には劇場公開を目指した商業作品作りを目指すものだ。かつてのスーパー35mmフィルムにおいては、大きいイメージサークルに合わせたレンズは高額であり、現像代も高く、なによりもフォーカスがシビアで、ちょっと凝った作品を撮ろうと思えば、常に専用のフォーカスマンを必要とするカメラであったが、その特徴を引き継いでいるのがハイエンドシネカメラなのだ。

そして、後者が常に万能かと言えば、実はそんな事は無い。単純にコストや撮影チームの規模だけの問題では無く、例えば、音楽PVや自然物の撮影などでは35mmフィルムカメラのような大型機材を入れにくい無茶な映像的要求も多いし、テレビCMなどではフォーカスが効きすぎている映像は商品への注目を失わせるために嫌われる。なによりも、映像作家本人が所有して、特に事前に予算組みをして巨大なプロジェクトチーム編成をすること無く、いつでも好きなときに自分で映像を作り上げることができるのは、明らかにスーパー16mmフィルムの利点であった。

BMCCは、デジタルシネカメラにおいて16mmフィルムカメラの立ち位置を目指しているカメラなのだろう。これを端的に言えば、BMCCは、フォーカスをシビアに捉えずにワンマンオペレーションのできるシネカメラであり、安価なレンズや周辺環境を映像制作社が手元に置くことが可能で、気楽にデジタルフィルム作りをするための道具であると言える。しかし、できるファイルはちゃんとしたデジタルフィルムであり、本物の映画撮影を行うことができる。

つまり、今まで、ビデオカメラでプログレッシブ撮影をしてそれをフィルム風に加工してきたり、あるいは金銭的に無理をしてハイエンドシネカメラを使ったりしていたフィルムメーカーが、そうした苦労をせずに気楽に使えるシネカメラ、というのがBMCCの役割なのである。手軽さはそれだけでは無い。実は、BMCCでは、Adobe Cinema DNGだけで無く、Apple ProResとAvid DNxHDでの動画ファイル収録も可能となっている。これを使えば、ダイナミックレンジこそ狭くなるが、現像処理抜きでビデオ的な手軽さでの撮影も可能だ。

秋葉原で行われたNAB報告会では、こうしたBMCCの気楽に使えるデジタルシネカメラとしての立ち位置が、BMCCにもおまけで付いてくるDaVinci Resolveをつかった丁寧なカラーグレーディング処理の説明と共に明確にプレゼンされたのだ。

Blackmagic Cinema Camera。かつての16mmフィルムカメラの立ち位置を置き換え得る可能性を秘めたカメラだ

しかし、厳しいことを言えば、5月末のイベント開催段階、このBMCC単体だけでは、まだ片手落ちであった。その一例が、このイベント当時批判されていた「じゃあ、現場で色はわからないのか?」という個人作家たちからの意見であった。BMCCは、Raw収録であるため、撮影時のカメラモニタで見れる色は最終的なものとは異なるグレーがかったものだが、そこへの意見である。

映像の世界を、ビデオカメラとそれを用いた手法が長年席巻してしまっていたために、彼ら独学で映像に飛び込んできた個人映像作家の多くはフィルムの手法を学ぶこと無く今まで来てしまい、事前に論理的なシーン設計をしたり同条件でのテストショットを撮る癖を持って居らず、カメラを自ら覗きながら現場合わせで舞台設計をする悪癖が付いてしまっている。もちろん予算組みやスケジュールも現場合わせを前提に組まれることが多く、そのため撮っているその場で最終的な色味がわからないことに不安を覚えてしまうのだ。良くも悪くも、今はもうフィルム全盛の時代とは違うのである。

そうした、現場でどうしても色を見たいという彼らの要求を実現するためには、撮影現場に2.5K表示の可能な高性能コンピュータを持ち込む必要があり、それはノートPCでは到底実現不可能だった。かといってMacProワークステーションを現場に持ち込もうものなら、たちまち設置デスクやら電源やらそれを運ぶ機材車やらそのオペレーター人員やらと規模は膨れあがり、到底、16mmフィルムカメラのような手軽な立ち位置を目指すことは叶わなくなってしまう。しかも、困ったことに、5月のこのイベント時の現状で手に入る最高画質のディスプレイであるAppleのCinema Displayでさえも2,560×1,440ピクセルと2.5Kぎりぎりの解像度で、これにソフトウェアのコントロール部分が加われば明らかに解像度が不足してしまう。巨大な設備を多額のコストをかけて持ち込んだ末にそうした不自由があるのでは、ビデオの手軽さに慣れ親しんだ今となっては現実的では無いのでは、という疑問が湧いてしまうのも当然と言える。

つまり、いくらBMCCがかつての16mmフィルムの性能を備えていたとしても、今のデジタル時代のワークフローでは現実的では無かったのだ。6月10日までは。

これが大きく変わったのが、冒頭にご紹介した6月11日、WWDCでのMacBook Pro with Retina Display(MBPR)の発表であった。MBPRの最新のアーキテクチャであるIvy Bridgeを搭載したロジックボード本体の高性能もさることながら、Retinaディスプレイを搭載した同機は、2,880×1,800ピクセルもの解像度を実現し、BMCCの2.5K映像を表示しながらソフトウェアのコントロール部分を同時表示することを可能としている。メモリも16GBまで搭載でき、2.5Kといえども編集作業には十分だ。 なによりも、内蔵の高速なSSDは768GBもの容量を搭載でき、これによって、外部にRAIDを用意すること無く高速な映像再生が可能となっている。Thunderboltポートをもち、これに、BMCCを接続して、Blackmagic UltraScopeによるモニタリングを行いながら撮影することも可能だ。Thunderboltポートは2口あるので、片方をBMCCに占領されていても、別途、ストレージやLANアダプタなどの使用も可能となっている。

しかも、このMBPRのRetinaディスプレイモニタは、実はIPS方式のものであり、従来のディスプレイに比べて視野角が広い上に色度変移・色調変化が少ないという特徴を持っている。もちろんいくら何でもMBPRだけで商業向けカラーグレーディングをゼロから完了することは困難だが、そこはデジタル時代の恩恵で、事前に調整されたLUTファイルを元にしながら加工をすれば、16mmにもあったようなハイアマチュア向けグレーディングや、ちょっとしたフィルムタッチ映像程度のグレーディングはMBPRによる現場作業でも充分可能だと言える。

このMBPRの登場によって、BMCCの実用上の問題はほとんどなくなったと言っていい。MBPRとの間にThunderboltケーブルさえ繋げば、あとは波形モニタからグレーディングまで、全てを撮影現場で行うことができる。これによって、BMCCが目指しているであろうデジタルシネカメラ界の16mmフィルム的な立ち位置は、容易に実現するだろう。事実上、MBPRは、BMCCの必須システムと言って差し支えないコンピュータなのだ。

WRITER PROFILE

手塚一佳

デジタル映像集団アイラ・ラボラトリ代表取締役社長。CGや映像合成と、何故か鍛造刃物、釣具、漆工芸が専門。芸術博士課程。