「千年の糸姫」プロジェクト進行中

ご無沙汰していた「千年の糸姫」プロジェクトの話を続けていこう。まずはこのプロジェクトに二人の若いプロデューサーが参加してくれた。これは本当に心強い。何より一人で悶々と考えるよりも、ミーティングという形の方が熱がこもるし、違った感性で物事を捉えるので拡がるしミスも減る。こうしているとつくづく自分にはプロデューサーとしての能力がないのだと痛感する。いや、それでもクリエイターにしては全体的な事をよく考えている方だと思う。だが根本的な物の見方、思考回路が全く違うということがよく分かる。その違いを最大限に活かす為には関係性をしっかり作っておかなければならない。違った感性に対する信頼と尊重だ。

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こうしてメンバーが増えても「最小限の小さなチームで」というプチシネ思想は変わっていない。特に撮影は私を含めて5人以内のチームでやろうと思っている。もちろん予算とも無関係ではないが、第一の理由はコミュニケーションだ。美意識を統一して一本の道を選び、進むには濃密なコミュニケーションが必要だ。

大きな組織を作ってそれぞれの組長を通してやるといった従来の方法も良い所があるのは分かっている。しかし全てのスタッフが一堂に会し、熱を持って伝えるには少人数の方がいいし、それを技術の進歩が許してくれている。もちろんその中心となって引っぱり、責任を持つのは監督である私だが、それは映画を撮るまでの話で、何度も言うが作るだけでは映画にはならない。そもそも作る為にはお金も含めて様々な状況が整う必要がある。

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去年の上映会の失敗から学んだ一つは、出来てしまってから協力を呼びかけても遅いという事で、始めから終わりまでを一つのチームで全うする。その中心となるのがプロデューサーだ。幸せな事に今回一緒にやってくれる二人は私の美意識にもプチシネのポリシーにも共感してくれている。物語についても一緒に話し合い、ロケハンにも同行してくれ、その上で彼らの感性と能力を活かしてくれるのだ。

信頼と尊重で繋がるチームの尊さ

私はそれを尊重し、託してみたいと考えている。それは主従とか上下とかいうものではなく、信頼と尊重で繋がることが必要だ。かといって「じゃあそっちはお願いね」といった丸投げではなく、もちろん私もチームの一員としてプロデュースに美意識を吹き込む。ここの繋がりがプロジェクトの質、品位というものに大きく関わってくることは間違いない。わがままの押し付け合い、責任のなすり付け合いというよくある構図をなんとか無き物にしたい。これは大きな挑戦で、ここから上映に至るまでクリエイティビティが求められることになる。それは資金集めという今の時点からすでに始まっている。

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以前お話ししたように、今回は企画書、プロットという物ではなく、始めから台本を携えて直接話を聞いてもらうという、一見効率のよくないやり方をしているが、これは成功していると思う。お陰で最初の出資者とも握手を交わす事ができ、その握手に宿る熱が半端じゃない。お金だけではなく、こうして意識を共有できるスタッフとも出会えた。逆に内容をしっかり伝えることによって、はっきり協力を断る方もいらっしゃったが、それはそれでフェアで良い事だと思う。いずれはもっと広く、効率的に出資者を募る事も必要で、最終的にはクラウドファンディングという方法も考えなくてはならないだろう。

しかしその前に、どれだけ効率が悪くても、実際に物語の内容やプチシネのポリシーを直接伝える方法を考えていきたい。その一つとして、過去の作品の上映と、この作品の内容を伝えるイベントも計画を始めた。これはダイレクトに出資をお願いする事を前提にしたパーティーで、欧米ではよく行われているやり方だが、日本では全く馴染みのない方法だ。だが作家としては、これはとてもフェアなやり方だと思うし、これを成功させれば映画のプロデュースのみならず、スポンサーの意識も変わってゆくのではないかと思っている。もちろん一気に大きな会場でやるのもいい事だが、小さなスタジオに三人来てくれるなら開催しても良いのではないかと考えている。

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とは言え、やはり企画書やプロットも必要だというプロデューサーの考えから今その製作に取りかかっている。そこでの挨拶文として、おそらく前述のイベントでも話すであろう言葉をまとめてみた。ここにそれを転載するのでぜひご一読頂きたい。

【ご挨拶】

『千年の糸姫』は平和への祈りです。何故争いが起こるのか?ということよりも、何故争いは終わらないのか?という視点から私は一つの答えを見つけ、それをドラマの中に奥ゆかしく忍び込ませ、全世界、特に韓国、中国、その他のイスラエルやパレスチナ等の紛争の当事国での上映を目指します。

映画なんて微力です。すぐに世の中を変えられるようなものではない。ただ、政治にはできない事、能天気に夢を語り、それを数十年続くメッセージとして人の心に留めておく事ができると信じてます。パブロ・ピカソの「ゲルニカ」、ジョン・レノンの「イマジン」、これほど世界的に有名なアーティストの作品であっても、その中にある真のメッセージに気付いている人は多くはなく、そして微力です。

けれども少しずつ、うっすらとでも人の心に残り、その人が隣人や子供に伝え、いつかそれを理解する人が臨界に達した時、例えほんの幾つかでも争いを終わらせる事ができれば。いや、その前に世界は燃え尽きてしまうかもしれない。でもその種を蒔き続ける事がアートの、映画の使命なのではないかと考えています。

もう少し詳しく話しましょう。ヒトという生き物は思想や環境の違いから隣人を滅ぼし理想を達成しようとします。その本質が変わらないのは歴史が証明しています。私たちを含め、今存在する人々はいずれかの戦いの勝者となり、多くの犠牲の上に在ります。それは直近の戦争の結果だけでは物語れない人間の本質なのかもしれません。

例え何かの条約により終戦と言う日を迎え、勝者と敗者をはっきり決めたとしても、一時火を消すことはできたとしても、勝者の心にも敗者の心にも憎しみと恨みは残り、また何かのきっかけで同じような戦いが始まります。中にはイスラエルとパレスチナのように何十年も戦い続ける事もあります。勝者が敗者に対して、またはその逆にしても、何かを言えばそのきっかけはあっという間にできてしまうのです。例え誰かが仲裁に入り、妥協点を提示したところで、根底にある恨みと憎しみは消えません。

唯一道があるとすれば勝者が勝者に、敗者が敗者に、つまり同じ思いを持つ者が「もう恨むのは止めよう」と言うほかはない。それは「許す」ということではなく、ただ「止めよう」と。自分たちの為に、自分たちの平穏な日々の為に、もう人を恨むのは止めようと言うほかないのです。なんとも掴みどころの無い話だと思われるでしょうが、事実、私たち日本人はそうして本当に戦争を終わらせた数少ない民族なのです。首都までも焼け野原にされ、広島と長崎に核爆弾を落とされ、何百万人も殺されたその相手国アメリカを許した訳ではありません。

しかし恨む事を封印した。それはアメリカの圧倒的な戦後処理のせいだったかもしれない、恐怖だったのかもしれないし恩恵にたいする感謝だったのかもしれない。でも、少なくとも公的には「黙った」。代わりにただ「二度と戦争は止めよう」と言い続けた。そして70年、3世代を経て、恨みは消えたかもしれません。少なくともアメリカ人だからと言って石を投げようとする人はほとんどいなくなりました。これが正しい道だったかどうかは分かりません。

ただ、少なくとも私たちは70年もの間、戦争には加わっていないし、戦争によって人を殺すことはなかったのです。この事実だけは我々日本人の誇りだと思います。人を恨むこと即ち修羅の道。日々の平穏は消え、そして戦争は終わらない。このメッセージを世界に向けて言えるのは平和の国の私たちしかいないのです。このあやふやなメッセージをこの『千年の糸姫』という物語に忍び込ませるのは政治の迷路をくぐり抜け、紛争当事国の人々に直接伝える為の手段です。文化と言う隠れ蓑を使ってなんとか人々の心に伝わってほしいと願っています。どうか皆様のお力をお貸し下さい。

長いでしょ(笑)。この後、プチシネについての事やプロットが続く。もちろん、出演者のイメージや予算、製作期間等も書かねばならない。でもこれが最小限だと思う。

映画は金融商品とは違う。文化を一緒に作る仲間を募るという目的なら、その「核」を示さない訳にはいかない。「千年の糸姫」の核は皆がみんな共感するような物ではない。だけど何もNHKの番組を作る訳ではない。そこは勇気を持って、核をちゃんとさらけ出した上で、一緒にこの作品を作ってゆく仲間を募りたいと思っている。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。