txt:柏原一仁(銀一株式会社) 構成:編集部

Steadicam。映像制作をしていれば「一度は耳にしたことはある」という方も多いだろう。一方で、実際に使ってみたことがある方はそんなに多くはないのかもしれない。これから数回に分けてステディカム、またスタビライザーなどについて、製品そのものではなくその歴史や文化、テクノロジーに関する話を掘り下げて書いていきたいと思う。Vol.1の今回は「Steadicamが生まれ育った時代」というタイトルで、その歴史的な側面について触れてみよう。

ステディカムの歴史とは?

ギャレット・ブラウン氏

ステディカムは、1972年ギャレット・ブラウンによって発明されたカメラ防振装置(スタビライザー)、“Brown Stabilizer”がはじまりだ。

ステディカムが使われた初期の作品には「ロッキー」(1976)、「シャイニング」(1980)、「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」(1983)などが挙げられる。「シャイニング」がステディカムで撮影した最初の作品と言われがちだが、実際に世界で初めてステディカムを使用した作品は「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」(原題“Bound for Glory”:1976)であった。

その後、サンプルフッテージを気に入ったスタンリー・キューブリックから声がかかり「シャイニング」の多くのシーンをギャレットがステディカムで撮影した。「ロッキー」では、ギャレットの妻を撮影したサンプルフッテージが、そのままあの有名なシーンのネタに採用された。また「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」の帝国軍とチェイスするシーンは劇中でも有名なシーンのひとつだが、撮影されたのは発明から10年も経ってからのことである。

当時のアメリカの映像制作現場がどうだったかはわからないが、カメラマンが手作りしたヘンテコな発明、それを持ち込んでは、高価なカメラを載せ、またそれを着て歩き、走りまわる。どうだろうか?今でも現場にヘンテコな機材が現れたとして、受け入れられるものだろうか?

ただ一方で、映画制作に携わる人たちは、新しい映像表現に貪欲だということは今も昔も変わらないであろう。

やがてステディカムは、ギャレットのおもちゃから製品に生まれ変わり世の中に出ていくことになる。今までできなかった撮影手法が可能になる、ステディカムは、多くのカメラマンに知れ渡り、多くのステディカムオペレーターが生まれ、育ってきた。その中にはステディカムとギャレットにとって、現在に続く大きな出会いもあった。

ジェリー・ホルウェイとの出会い

ジェリー・ホルウェイ氏(写真右)

ジェリー・ホルウェイは、若い頃大学で撮影を教えていたがその後独立し、本格的な撮影の道に入った。彼はそれからほどなくしてステディカムに出会い、その魅力にどっぷりと浸かった。もともと学者肌であることも重なり、ギャレットと共に開発に携わることになる。

Steadicam Ultraはジェリーがギャレットと共に開発した機種だ。また、ダイナミックバランスという理論を展開。ダイナミックバランスはステディカムオペレーターの間では当たり前に使われる言葉だが、その理論が形になったのはほんの十数年前のことである。

ギャレットとジェリーは現在も新しい機種やアクセサリーの開発を続けており、今年の秋には“M-1 Volt”という今までにない全く新しいシステムを発売する予定だ。このM-1 Voltについては、今後の連載のどこかで触れたいと思う。

Steadicam Operator’s Handbook

Steadicam Operator’s Handbookは、ステディカムオペレーターを目指す者、また活躍する者にとってバイブルとなる一冊だが、これを書いたのもジェリーだった(共著:ローリー・ハイボール)。基礎理論、装置の仕組み、オペレーターの身のこなし、現場での振る舞い、多くの内容を盛り込んだこの一冊は、ステディカムオペレーターを多く育てることに今もなお大きく貢献している。

「よく分からないがいい絵が撮れる装置」ではダメだった。目的は、撮りたい映像が撮れること。そのためには多くの人が、正しく、安全に、思った通りに扱い撮れるようにしなければならない。ハンドブックやワークショップはその近道であり、とくにワークショップはステディカムオペレーターの文化や精神まで学ぶことができる絶好の場所だ。ギャレットやジェリーは今も世界中でワークショップを行っている。

次回はワークショップをはじめ、映像表現の追求について話をしていきたいと思う。乞うご期待!

WRITER PROFILE

柏原一仁

リリーヒルワークス代表。銀一株式会社にて映像機器・写真用品のセールス・マーケティングを経て独立。好きな食べ物はからあげ。