txt:ふるいちやすし 構成:編集部

文系から理系へ伝えることとは

某カメラメーカーの社内勉強会に講師として招かれ行ってきた。メンバーは商品企画、設計からマーケティングにいたる様々なセクションの方々で、基本的に理系の方々がほとんどだった。前回までの映像制作者相手のワークショップとはかなり違っているが、文系代表(?)としての思いを告げるのは、とても大切な事だと思い、一生懸命務めさせていただいた。

皆さん、とても真剣に聞いて下さったのだが、話しているうちに少し不安になり聞いてみた。「カメラを作るにあたって、映像制作者のアドバイザリースタッフのような方はいらっしゃらないのですか?」NOという答えに驚きと不安を感じた。

もちろんメーカーの皆さんはカメラの事を知り尽くしているという自負もお持ちだろうし、例えば今回の勉強会のような形でヒアリングをされる事もあると思うが、ユーザーはあくまで文系(時々体育会系)。そのフィーリングを企画や設計の細部に取り込むという事はとても重要な事だと思う。とは言え、クリエイターの考えは自己中心的で、1人が思うことが正解とは決して言えないだろう。こちらとしてもグローバルをかなり意識して意見を言わなくてはならない。

どういう形がベストなのかは分からないが、少なくとも、カメラが完成した出荷後に、ユーザーにとやかく言われるのは嫌だろうし、企画の段階から文系の視点を持つことがとても重要だと思う。

文系とは言え、絵描きが筆を持つのとは訳が違う。我々の道具は科学の塊だ。これをなんとか使いこなさなきゃならない。例えば体育会系の車のレーサーがメカニック担当に対して「もっと速く走れるようにしてくれ!」としか言わなければ、すぐにその座を失う事になるだろう。私もかなり苦手な分野の事を勉強したつもりだ。一方、私の著書を読んでくれたこの勉強会の主催者は、「文系のアーティストマインドを理系の我々にも解るように書いてある」と評してくれた。

アートとテクノロジーが一体化する為には

何れにしてもアートとテクノロジーが一体化する為にはお互いの理解が歩み寄る必要があるというところだろう。これは避けては通れない。例えば私の撮影に立ち会った人によく驚かれるのは、私が撮影中にもピクチャープロファイルなどの設定を細かく設定し直したりすることだ。逆に驚くことにプロのカメラマンでもそんなところは触らないと言う人が意外に多いと言うことだ。

正直に言うとこれに関して私は相当勉強した。一つ一つは小さな変化であっても、それらの塊が撮影者独特のトーンを生み出すものだ。とはいえ、大概それらの調整はメニューの深層部にあるため、よっぽどパラメーターの意味が解ってないと怖くて触れないと言ったところだろう。撮影者の勉強と、願わくば、パラメーターのネーミングをもう少し文系寄りにして、触りやすいところに置いて欲しいと思う。

例えばシャープネス/ディテールと言うものもはっきり輪郭とかエッジと書いてもらった方が解りやすいし、極端だが、電源を入れた時のスタートアップ画面で「記録モード」か「シネマモード」を選べると言うのもいい。シネマモードを選ぶと自動的にシネマガンマで24p記録をするとか、そうすれば同じカメラでも違った表現ができると言うことが分かるだろうし、それが解れば勉強して触ってみようと言う気にもなるのではなかろうか?そんなことを話していたら自然にLog収録の話になった。

ご存知の方もいらっしゃるだろうが、私はこれを使わず、現場で絵作りをする。はっきり言って刻々と変わる光の中で絵作りをすることは、一定の暗さを保ったスタジオで安定したモニターで絵作りをすることに比べて、とても危険なことではあるし、事実、私も時々ミスを犯す。それでも自分でカラコレや編集をすることがほとんどなので、尻拭いは自分ですることになる。そんなリスクを覚悟しながらも、私は現場で自分の色やトーンを作ることが楽しくて仕方がない。その楽しさが撮影自体のノリを変えることもあるし、特に映画の場合はそのトーンを出演者や他のスタッフが共有できるので、作品の方向性がより理解される。デジタルならではのこの利点を使わないわけにはいかないのだ。

LUTを当てれば…と言う意見もあるが、私が作るトーンはそう言う大雑把なものではない。その小さな差が見えるようになるには、その差にこだわって試行錯誤を繰り返すほかないだろう。利便性や安全性というものは、アートにとって二の次、三の次なのだ。そのままHDRの話になった時も、それほどのダイナミックレンジを必要とする被写体がそんなに多くあるだろうか?とバッサリ。少なくとも15秒のCMやショートムービーでは目を引くかもしれないが、長編映画などでずっとハイダイナミックレンジの絵を見続けたら疲れてしまう。

こういったテクノロジーを日々作り上げている技術者の皆さんを随分がっかりさせたとは思うが、もちろんこれらは私見であって、風潮としてはこれらを歓迎し、積極的に導入している業界やカメラマンの方が多いかもしれない。ただ、絵の美しさというのはそれが全てではないということを知っておいて欲しかったのだ。

これは技術者の皆さんに向けた言葉であると同時に、アーティスト諸君にもよく噛み締めて欲しい。先端テクノロジーを自分のトーンに利用するのはいいことだが、それに引きずられてしまうようでは自分の美を見失ってしまう。どんな高級、高性能なカメラであっても、そこにあるのは美ではなく可能性であって、美はいつも千差万別のそれぞれのユーザーの中にしかない。そういう強い意志を持って、カメラ、テクノロジーを理解し、選び、使って欲しいと思う。

こう言ってしまうと、単なるアナクロ趣味で、ハイテクノロジーを否定しているようにも聞こえるだろうが、例えば10bit、12bitといった中間トーンがよりスムーズになりそうなテクノロジーには大変興味があるし、そういったものがアマチュアにも手の届く価格のカメラに降りてきていることをとても嬉しく思う。やはり自分のカメラを所有して、その可能性を充分理解して、自分のトーンを作りあげられるように勉強し、トレーニングしなければいけない。

私のような極端な考えのアーティストが自分の趣味をメーカーに伝えたところで、それがダイレクトに商品開発に活かされるとは思わないが、こういう意見を交換する場はとても貴重だと思うし、最後まで真剣に聞いて下さった参加者の皆さんからもそういうお言葉を頂いた。私たちに夢のような機材を提供してくださるメーカーに心からの敬意を感じ、これからもこういう機会をできるだけ多く持たせていただきたいと願うばかりだ。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。