txt:ふるいちやすし 構成:編集部

必要な人数を足していくという考え方

この夏は撮影監督/カメラマンという立場でとある映画プロジェクトに参加している。私の他に2名のアシスタントを連れて、合計3名で録音、照明をもやってしまうという、相変わらずのミニマムチームだ。確かにあと一人二人いればという場面はあったが、ここまでなんとか予定通りに撮影を終えた。少なくとも五人いれば難なく撮影できるだろう。

そこで今回は撮影チームの役割分担を考えてみようと思う。ここで初めに言っておかなくてはならないのは、20~50人の大規模な撮影スタッフを否定するものでは決してない。それは意味があっての事だと思っている。それぞれの専門職とそのアシスタントがいてこその映画作りにはそうしないとできない事もあるのだ。しかし今日の機材の進歩に合わせた考え方もあるように思うのだ。そして少人数のチームならではのメリットは予算面だけではなく、きっとあるはずなのだ。とは言え、50人の中から段々と減らしていくようのではどんどん不安になっていくだろう。ここはひとつ、ワンマン撮影からどうしても必要な人を足していく考え方をしてみよう。

まずは監督という仕事。ひと昔前は芝居の演出だけをやっていれば良かったものだが、今時は少なくとも粗編集くらいはできないとなかなか仕事にありつけない。そういう常識になって慌てた監督も多くいたと聞いている。実は舞台演出の経験は少しあったが、助監督経験も映画学校にも行ったことのない私のような者が監督になれたのは間違いなく当時のFinal Cutのお陰だと思う。編集ありきの演出というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも編集と演出の一体感は映画にとって不可欠なものであるはずだし、それを一つの感性で考えられる事はとても意味があるはずだ。

ちゃっかり時代に乗ってしまったと言えばそれまでだが、いつの時代にもその時ならではのチャンスがあるのだ。テクノロジーの進化がそのまま創作に繋がるのなら迷い無く取り入れるべきだと思う。その流れで私は撮影も自分でやるようにした。これもフィルムカメラの時代ならとてもできることではなかっただろう。写り方をその場で確認でき、安いメディアにいくらでも記録できる時代だからこそそれが可能になった。

更に大判センサーにより、フィルム並みの表現力と劇場レベルのクオリティが個人で所有できる値段のカメラで可能になった事も大きい。以前のシネカメラは高価で、とてもカメラマン一人一人が所有できる物ではなかったし、また、年々高性能化するデジタルビデオカメラを買ってしまうことも、とても危険だった。もちろん今も年々進化を続けているカメラだが、すでに劇場レベルの表現力とクオリティーは備えている。それを個人所有することで、じっくりとカメラの特徴を掴み、トレーニングすることが可能なのだ。

監督、撮影、編集。最初に言ったようにそれぞれ専門の人間が携わることはとても意味のあることだが、一方、この映画表現の核とも言える三つを一つの感性で行えることは、別の意味で素晴らしいことでもあり、画家や写真家なら当たり前の事とも言える。一つのアートとして考えるなら、この時代の恩恵は喜んで受けるべきだろう。編集で完成させるものを見据えた演出、撮影。演出意図を100%活かすための撮影、編集。撮影の可能性を見越した演出など、この順番を時と場面に応じて変えられる自由度はきっと作品の向上に現れるはずだ。

私の場合、元音楽家であるということから、これに録音や音楽も加えて一人でやっているが、これはオマケとしておこう。何れにしても私は演技はできないし、ヘアメイク・スタイリストの知識も技術もない。ここからは濃密なコミュニケーションが必要になるし、核になる三つの事に関しても、コミュニケーションがたっぷり取れる仲間が入れば分担する事もできるだろう。

役割によって異なる視点が存在する

だが一つ注意して欲しいのは視点の違いだ。専門職の違いは単に技術の違いだけではなく、それぞれの視点が違うということだ。本番中、監督とカメラマンの視点は一つにまとめることはできるが、役者と監督というのは全く違う視点を持っている。簡単に言ってしまうと役者は主観であるのに対して監督は客観でなければならない。時々、相手役や自分の気持ちに集中すべき役者が全体の客観視をしてしまい、演技が散漫になり注意をすることがあるが、逆に偉そうに演技指導をしている監督も、実際に出演したりすると悲惨な結果を招くことになる。この二つの相反する視点を一人の人間が同時に持つことには無理があると私は考える。そこははっきり分担すべきだろう。

一方、何故ここは一つにならないのかと思い続けている分野がヘアメイクとスタイリストだ。お互い特別な技術とセンスが必要なことは解っているが、この二者の融和がない時や優先順位を張り合っているような時は目も当てられない結果になる。例えば「スタイリングディレクター」という立場で一括してキャラクターのイメージを作り上げてくれるような存在が必要だと切に感じている。映画の現場において、ヘアメイクの仕事は激務だし、特別な技術と知識も必要だが、中にはファッション感覚が優れている方も少なからずいる。そういう人になんとか衣装と着付けまでも受け持ってほしいものだ。

同じように、美術と照明は切っても切れない関係にあると思う。そしてこの分野の人にはもう少しカメラの性能の変化を知ってほしいと感じることが多い。なんと言っても感度が飛躍的に向上している。にも関わらず、いつどこで習ったか知らないが、まず強力なキーライトをガーンと当てて、それに対するカウンターライトを次々に灯していく人がいる。もうどうしたってガチガチの画にしかならない。とあるロケでトラックいっぱいに機材を積んできて、次々に灯していったライトを私がどんどん取り除いていったことがある。彼は腹を立て、自分がいる意味がないなどと言い出したので、お引き取り願ったことがあった。コミュニケーション不足があったと反省もしているが、それ以来、照明もその場にある光を補足する形で、自分が持っているわずかな機材で自分で作るようにしている。

他にも個人所有に無理のある大型特機や専門技術とトレーニングが必要なステディーカムやドローンといったものは、専門のオペレーターとのかなりのコミュニケーションが必要だし、それが叶わないならそもそも撮影プランに盛り込むべきではないと思う。丸投げしなくてはならないくらいなら、日々進化している小型ジンバルやカメラ自体の手ぶれ補正機能で充分な場合も多々あるはずだ。

作品性をしっかりと見極めた上で、既成概念に捉われず、チームを作る。今の技術を持ってすれば、小さなチームで映画を作り上げることは充分可能なことだ。その分、ただ予算を圧縮するのではなく、仕事が増えた分の報酬を支払い、何より時間とコミュニケーションをたっぷり取れるというメリットがある。こういった考え方が浸透するにはまだ時間がかかるようで、私自身、そしてスタッフ達に2つ3つと仕事が増えた分の満足な報酬を支払われているとは思えないが、監督が編集をするのが当たり前になってきたように、時代に応じてチーム編成も変わっていくだろう。そして何より、小さなチームからよりたくさんの良い作品が生まれるチャンスがあるというのが楽しみでならない。苦しい過渡期を乗り越えて、チャレンジしてみようではないか。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。