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[ナガコが見た!ミュージックビデオ日本史]Vol.02 黎明期編:1980年代の日本の音楽映像とは?

2019-07-19 掲載

txt:林永子 構成:編集部

ミュージックビデオの変遷を時系列で振り返る

主にミュージック・ビデオ(以下:MV)を中心とした日本の映像シーンを記録してきた映像ライターのナガコこと、林永子が、これまで超近視的に目撃してきた「日本のMVの歴史」を振り返る連載企画第2回目。初回は、本連載の趣旨とこれまでの経緯をご説明させていただいた。

今回からは日本のMVの変遷を時系列で記していく。が、1998年頃よりMVと深く関わるようになった私は、それ以前のシーンを間近で見ていない。よって1990年代までは先輩方から伺った伝聞や取材した内容を中心に総論を記し、2000年代以降は自身の体験談を当事者として述べてみたい。

MVの成り立ち

MV、プロモーション・ビデオ(以下:PV)、ビデオクリップと呼ばれる音楽映像コンテンツの歴史を記すにあたり、まず整理しておきたいのがその成り立ちだ。欧米のMVの起源は諸説ある。1960年代、テレビの音楽番組に出演できなかったTHE BEATLESが、演奏シーン(ライブ映像)およびイメージカット(創作表現)を収録・編集した映像をテレビ局に送り、放映されるに至った。それが元祖MVであるとの説が最も有名だろうか。

ミュージシャンの演奏・歌唱シーンのルーツには、テレビ番組やコンサートを収録したパッケージ商品等のライブ映像がある。創作表現としては、1960年代より台頭したビデオアートや、より深い歴史をもつミュージカル映画、実験アニメーション作品等、「視覚表現と聴覚表現を巧みに紡いだ映像芸術」にMVの源泉を見出す説もある。

もとより映像信号はAudioとVisualで構成されているため、絵音の揃うあらゆる映像表現に音感的なビジュアルイメージは潜んでいる。よって創作表現上のルーツは限定し得ないが、演奏と創作を掛け合わせた、今となっては王道のMVスタイルを提供したこと、なによりその目新しい音楽映像コンテンツをいち早く「テレビで放映する目的」で制作した点が、来たるMTV時代を予見するTHE BEATLESの元祖説の根拠といわれている。

ビデオアートとテレビ

ひと所より広域にメッセージを送出できるテレビ媒体には、大きな利用価値がある。その公衆の電波で放映される新しい音楽映像は、ミュージシャンにとって音楽パフォーマンスの一部であり、重要なイメージ戦略も担う。MVは、テレビという映像受像装置の特性を踏まえたうえで、独自の表現力を熟成させていく。

また、1960年代中頃には、映像を作る環境に革新的な出来事が起こった。当時の映像機材の多くはプロユースで高価かつ重量だったが、Sonyが世界初の家庭用オープンリール式VTR「CV-2000」(1964年)とポータブルビデオカメラ「DVC-2400」(1966年)、通称「ポータパック」を発売したことにより、人々は比較的安価に持ち運び可能なビデオ機器を手にする自由を得た。

以降、映像機器や記録媒体を用いたインスタレーションを特徴とする芸術作品および活動である「ビデオアート」が誕生。ナム・ジュン・パイクやビル・ヴィオラ等が先陣を切り、固定のスクリーンに拘泥しない最先端のアートパフォーマンスを様々な場所で発表した。

様々なジャンルの表現者がビデオアートに着手する一方で、ビデオジャーナリズムとしての用途も活性化する。それまでアメリカではマスメディアが映像情報を独占していたため、個人が映像を扱える事実を証明する活動は市民にとっても革命だった。

MVとテレビの邂逅と、ビデオアートのムーブメントが同時に勃発した60年代中頃。「ポータパック」とほぼ同期の楽曲といえば、著名なミュージシャンたちがそのMVに敬意を込めてオマージュを捧げ、さらに今となってはリリックビデオの元祖とも呼ばれているBob Dylan「Subterranean Homesick Blues」(1965年)。

以降、それぞれに実験的かつ意欲的なMVを手がけるミュージシャンが台頭した。音楽産業にとっても、ミュージシャンおよび楽曲の宣伝となるMVにはメリットがあった。その他、ライブやドキュメンタリー等の映像コンテンツにも商品価値がある。そこで様々な用途で制作した映像をパッケージ販売したり、上映したりするケースも散見された。

全米を魅了した音楽専門局「MTV」

1981年、ケーブルテレビの音楽専門チャンネル「MTV」が開局。最初にO.A.されたThe Buggles「Video Killed The Radio Star」を皮切りに、24時間MVを放映し続けるMTVは、瞬く間に全米を魅了し、MVの存在感を惜しみなく世に知らしめた。永続的に24時間放映するということは、それ相当のMVのストック(ビデオクリップ)がテレビ局に存在していたと推測できる。

1983年にはジョン・ランディス監督が手がけたマイケル・ジャクソン「スリラー」MVが世界中を席巻。以降、映画のような規模の大作からアニメーション技法を駆使した緻密な表現まで、革新的なMVの数々が誕生し、大きな話題を呼んだ。このMTV現象を前に、MVというコンテンツをMTVと称する向きもあった。

日本では、MTV開局同年の1981年に小林克也氏がMCを務める米ヒットチャート番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日系列)が、1984年にはピーター・バラカン氏が洋楽MVを紹介する「THE POPPER’S MTV」(TBS系列)が深夜に放映開始。

80年代といえば日本の音楽番組全盛期で、「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」等、生放送で歌唱・演奏を披露する構成が主軸だったが、希少な洋楽の情報を最先端のMVとともに届けてくれる番組は画期的であり、洋楽ファンや若者たちの好奇心を大いにくすぐった。

80年代後半にもなると、「ミュージックトマトJAPAN」(TVK)や、映像制作に最も力を入れていた音楽レーベル Epicソニー(現 Epic Records Japan)の「eZ」(自社所属ミュージシャンのライブやMVを放映した音楽番組)等、邦楽MVを視聴する機会も増えていく。

そして、1989年に日本初の音楽専門チャンネル「スペースシャワーTV」が開局。1993年にはランキング発表にMVを使用したチャート番組「カウントダウンTV」(TBS系列)の放送が開始し、日本でのMVの需要が爆発的に急上昇した(90年頃の変革については、次回詳述)。

日本のMVの黎明期

さて、その肝心の日本のMVだが、1970年代より制作されていたと聞く。そこで、最初に日本で作られたMVについて、長年にわたって調査しているのだが、未だ不明である。

歴史を記すコラムの分際で重要な部分がいきなり未解明な旨、陳謝したい。なにしろ事実関係が不明瞭なので、引き続き調査する時間をいただければ幸いである。

70年代後半から80年代にかけては、パンク・ニューウェーブが大流行。アートやファッションと親和性の高い音楽表現が登場。そこに集った感度の高いクリエイターたちが新しい表現媒体である映像に活路を見出した。

今年40周年を迎えたYellow Magic Orchestraは、年始に初期のMV3作の最新マスタリング音源/HDリマスター版を公開(アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ(US版)」から「FIRECRACKER (HD Remaster・Short ver.)」、アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」から「TECHNOPOLIS(HD Remaster・Short ver.)」「RYDEEN(HD Remaster・Short ver.)」)したが、いずれの作品も初期制作年度は1979年である。

そして1982年以降は、ライブビデオやMV集などの映像作品をVHS、βマックス、LD、DVDと、時節のメディアに合わせて発売している。80年代は、洋楽邦楽問わず、またメジャー・インディーズ、合法・違法も問わず、ミュージシャン名義のビデオパッケージが数多く販売されていた。

そのラインナップの中にMVが収録されているケースはあったが、邦楽MV番組が登場する以前はフルサイズでテレビ放映される機会はほとんどなく、レコード店頭のモニターで再生される販売促進ツール(PV)として機能するケースもあったと聞く。

誰がMVを制作していたのか

MV制作を取り仕切っていたのは、主に各レコード会社の映像部だ。現在はほぼ解散しているが、当時は自社のミュージシャンの宣伝映像やライブ映像、ビデオパッケージ等を制作する部署があった。よくよく考えてみれば、概ねのレコード会社の親会社は大手電機機器メーカーである。自社製品の使用も踏まえて便が良かったのだろうと推測する。

その映像部のプロデュースのもと、スタッフが決定する。監督は、同部所属のディレクターが務めるケースもあれば、外注もある。映像制作プロダクションが実務を請け負うこともある。ほとんどケースバイケースであり、各社によって方針や力の入れようには差異があったが、音楽の原盤権を持つレコード会社がそのMV制作の指揮権を握る図式そのものは明快だった。

80年代から90年代にかけて活躍した名MV監督の中には、レコード会社の映像部所属の方が大勢いる。また、映像作家、映画監督、CMディレクター、レコードジャケットや雑誌の人気アートディレクター、グラフィックデザイナー等、音楽好きなクリエイターたちもMVの演出に参入。新しいコンテンツであるMVは未知数で、正解がない。

関わる人々が思い思いに試行錯誤を繰り返した80年代。まさしくその時、後年のMVシーンに大いに貢献する若きビデオアーティストたちも、比類なき才能を開花させていた。

ここで改めて日本のビデオアートについて触れたい。1971年、日本のビデオアーティストの第一人者、山口勝弘氏が「ビデオひろば」を結成。そのメンバーであった中谷芙二子氏が1980年にビデオアート専門のギャラリー「ビデオギャラリーSCAN」を原宿に開設し、海外の活動や作家の紹介、音楽と映像の上映展「SCANNING POOL」(1983年)等を行いながら、新作公募展を15回にわたって開催。

その公募展に応募し、受賞した若きビデオアーティストが、小島淳二氏(teevee graphics)、高橋栄樹氏、寺井弘典氏(P.I.C.S.)、Higuchinsky氏、中村剛氏(CAVIAR)等。日本のMVの歴史を語るに欠かせない方々である。

また、PARCOもビデオギャラリー「SPOON」を運営。70年代より映像制作に着手し、「SCANNING POOL」にも参加していた山口保幸氏は、新谷祐一氏と共に同ギャラリーに勤務。様々なクリエイターに映像制作を依頼し、上映を行なった。1984年には映像制作プロダクション「Miss MOTION」をいち早く立ち上げている。

80年代後半には、別の立役者も異なる場所から活動を開始する。高校在学中にビデオアーティストのSOY信木氏と出会い、若干19才でおニャン子クラブのビデオ作品の演出を手がけた竹内鉄郎氏が、大学在学時の1987年に竹内芸能企画を設立し、MV等の制作を開始した。

同年、よみうりテレビに勤めていた中野裕之氏が映像制作プロダクション「タイレル・コーポレーション」を設立。メンバーは、上記の山口氏、新谷氏に加え、中村友彦氏、山口保幸氏。こちらも錚々たる面々である。各位は主にMVやオリジナル作品を手がけながら、1987年には「AVガーデン」というタイトルの”AudioとVisualの視聴覚表現を実験する”画期的な番組を企画し、自ら御出演。

その後、中野氏が監督したDeee-Lite「Groove Is the Heart」(1990年)が米MTVのアワードにて日本人初ノミネートの快挙を成し遂げた。

アート色の強い80年代から、90年代初頭へ

いよいよ役者が揃ってきた。様々に異なる場所から、音楽と映像を愛してやまない者たちが、MVへと歩みを寄せ始めた80年代。今となっては、後の日本のMV界に必要不可欠となる人物を先だってMVが吸い寄せたかのようにも見える。

他にも、ご紹介したいエピソードが山積しているのだが、調査を要するため、本稿は駆け足の説明にとどめる。80年代はアート振興や文化奨励の事業が活発で、ファッションブランドや建築、演劇等、あらゆるジャンルとのコラボ映像が登場したと聞く。この辺りも別途掘り下げてみたい。次回は90年代初頭!


WRITER PROFILE

林永子 映像制作会社勤務を経て、2002年よりMVライターとして独立。映像サロン『スナック永子』主催。日本初監督別MVストリーミングサイト『TOKYO VIDEO MAGAZINE VIS』の編集長。2016年初エッセイ集『女の解体』を上梓。


[ Writer : 林永子 ]
[ DATE : 2019-07-19 ]
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