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[ナガコが見た!ミュージックビデオ日本史]Vol.04 隆盛期編:90年代後半の最隆盛期到来

2019-08-30 掲載

txt:林永子 構成:編集部

90年代後半のヒットチャート

日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターのナガコこと、林永子がその歴史を振り返る連載第4回目。前回に引き続き、90年代後半の「音楽バブル」から邦楽MVの隆盛期を振り返る。

1995年は、総売上1位のDREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」と、2位のH Jungle With t「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」がダブルミリオンを達成。以下、年間売上ランキング30位手前まですべてミリオンセラーという驚異的な数字を叩きだした。

1996年はMr.Children「名もなき詩」、globe「DEPARTURES」が、1997年には安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」がダブルミリオンを獲得。

1998年には「第3次バンドブーム」(スピッツ、ウルフルズ、JUDY AND MARY、THE YELLOW MONKEY等)やヴィジュアル系と呼ばれるバンドもチャートを賑わせる中、同年デビューの宇多田ヒカルと浜崎あゆみの楽曲が1999年のチャート上位に複数ランクイン。次世代のカリスマの誕生を印象付けた。

多層な音楽シーン

このような邦楽産業史上、前例のないバブル景気のみが、90年代の音楽シーンを象徴していたわけではない。

80年代までの音楽産業は、一般認知度の高いメジャーシーンと、コアなファンに支持される特定ジャンル(インディーズシーン、クラブカルチャー、サブカルチャー等)との間に線引きや格差があった。が、様々な情報やジャンルが縦横無尽にクロスミックスされるメディアの発達期において、徐々に分断が解消され、多様かつ多層なミュージシャンおよび楽曲が一般層の認知を得ることとなった。

以下、90年代を通じて話題となった音楽について、またそのMVおよび作者について記したいのだが、まずはあらためて「MVの制作者」とは誰か、整理してみたい。

90年代のMV制作者

当時のMVの制作者は、発注主であるレコード会社を筆頭に、80年代より活動していた映像クリエイター個人および制作会社と、その次世代に当たる若者を中心に構成されていた。

個人としては、既存映像メディア(テレビ番組、CM、映画等も含む)の演出を手がけていたフリーランスのディレクターや、80年代よりオリジナル作品を制作・発表していた若手映像作家(ビデオアーティスト)、各専門セクションのエキスパート(撮影・照明・美術・CG・編集等)等が挙げられる。

また、紙媒体がメインだった音楽広告や関連コンテンツに映像が加わる過程において、グラフィックデザイナー、写真家等が、一枚絵の世界観に時間軸を与えるMV表現に着手する機会が増加した。その代表例が信藤三雄氏だ。

80年代より松任谷由実等のジャケットデザインを手がけていた信藤氏は、90年代初頭にブームとなった「渋谷系」を筆頭に、多数のミュージシャンのデザインワークを手がけている。

「渋谷系」は、80年代より活動開始し、1990年に3代目ボーカリストの野宮真貴を迎えたピチカート・ファイブを筆頭に、1991年に解散したフリッパーズギター、同年デビューのカヒミカリイ、ラブタンバリンズ等を指し、後にメディアが総称したと聞く。

この一大ムーブメントのヴィジュアル全般に信藤氏が関わっていることから、信藤氏こそが「渋谷系」の生みの親だとする説もある。MVも多数手がけ、ジャケットとMVの両者に携わるクリエイターの第一人者として時代を牽引した(例:Cornelius「STAR FRUITS SURFRIDER」1997年(※以下年号は楽曲リリース年)、Mr.Children「Tomorrow never knows」1997年、BLANKEY JET CITY「ガソリンの揺れ方」1997年等)。

エレクトロサウンドとクラブカルチャー

1990年にはスチャダラパーが、1991年には電気グルーヴがメジャーデビュー。彼らの魅力的なキャラクターやパフォーマンスは、ラップ、ヒップホップ、テクノ等のそれぞれコアなファンのみならず、お茶の間にいる一般層にも新しい音楽を届ける役割を担った。

1994年の小沢健二featuring.スチャダラパー「今夜はブギー・バック」のヒットも記憶に明るい。同年リリースされた小沢健二「ラブリー」「愛し愛されて生きるのさ」や、翌年のTOKYO NO.1 SOUL SET「黄昏’95 太陽の季節」等のMVは、タケイグッドマン氏が手がけている。

90年代はハウスやダンスミュージックを中心としたクラブカルチャーも台頭。エレクトロサウンドとの相性が抜群のスタイリッシュなMVも散見された(例:アニメーション監督の森本晃司氏が演出したKEN ISHII「EXTRA」1995年、中野裕之氏によるTOWA TEI featuring AYUMI TANABE「BUTTERFLY」1998年、中村剛氏によるFantastic Plasteic Machine「TAKE ME TO THE DISCO」1999年等)。

また、80年代よりDJやジャケットデザイン等に加え、いち早くデスクトップ映像制作に着手していた宇川直宏氏を筆頭に、VJが大活躍。クラブでのライブ演出に映像やMVの素材を使用するケースが散見された。

宇川氏はBOREDOMS「VISION△CREATION△NEWSUN」(1999年)を始め傑作MVを多数手掛けているが、まさかのコラボが話題となった「電気グルーヴ×スチャダラパー」(2005年)を含め、代表作が00年代に集中しているため、該当回で取り上げたい。

ヒップホップと女性シンガーの台頭

90年代後半から00年代は、1996年にECDの提唱によって日比谷野外音楽堂で開催された伝説のイベント「さんぴんキャンプ」の出演者を中心に、ヒップホップの隆盛期が到来。1993年にK-DUB SHINEとキングギドラを結成したZEEBRAは、1997年にソロデビュー。

同年デビューのDragon Ash「Grateful Days」(1999年)に人気シンガーのACOとともにフィーチャリングゲストとして参加し、チャートを賑わせた。同MVを手がけたのは須永秀明氏(代表作:EL-MALO「和楽全」1997年、スガシカオ「ストーリー」1998年、Dragon Ash「Let yourself go,Let myself go」1999年、sugar soul feat.Kenji「Garden」1999年等)。

バンドブームの継続

女性シンガーの活躍も目覚しかった。1991年にデビューしたCHARAは、歌唱はもちろんスタイリング等にも注目が集まり、岩井俊二監督の映画「PiCNiC」(1993年)、「スワローテイル」(1996年)への出演も含めてポップカルチャー全域に影響を及ぼすアイコンとして人気を得た。岩井俊二監督も80年代後半より多くのMVを手がけている。

1995年にはACOとUAがデビュー。1998年にはMISIA、椎名林檎、先述の宇多田ヒカル、浜崎あゆみがデビューした時代性を振り返ってみれば、ほぼ同時期に現在にも重要な影響を及ぼす女性シンガーが多数輩出された背景が浮き彫りとなる。

また、1991年にはかねてより人気があったBLANKEY JET CITY(当時はTHE BLANKEY JET CITY)もメジャーデビュー。THE HIGH-LOWS(1995年~)、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(1996年~)等、CDの好セールスに加えてライブ動員数の記録を塗り替えるロックバンドも活躍した。

1994年にはHi-STANDARDの登場をきっかけにメロコアブームが到来。1997年にはスーパーカー、くるり、ナンバーガール等がメジャーデビューし「第4次バンドブーム」の台頭と囁かれた。また、97年は「フジロックフェスティバル」が初めて開催された年である。以降、同時多発的に様々な地域や都市での音楽フェス開催が定番化した。

以上のトピックに該当するMVについても触れたいところだが、数多くのディレクターおよび制作会社が関わっているため、ここからは制作者を中心にその代表作をまとめてみたい。

制作会社の形態

制作会社の形態についてもあらためて整理する。当時はフリーランスとして活動するディレクターが様々な制作会社と仕事をするケースはもちろんあったが、ディレクター自らが代表となって制作会社を立ち上げるケースが多かった。

というのも、当時の仕事の受発注の流れとして、レコード会社からの依頼を請け負うのは個人ではなく、一般的には制作会社(あるいはレコード会社の映像部)だったからだ。

現在は個人(または少数チーム)で制作を請け負うことも可能だが、当時はディレクター以下各専門エキスパートを要する実写チームワーク制だったので、大人数のスタッフをまとめて現場を進行するスタッフを擁し、金銭取引もスムース化させる会社の受け皿を必要とした。

以下、映像制作会社の特徴を記す。

  1. レコード会社の映像部(デザイン部・ヴィジュアル部などとの連携もあり)や関連会社
  2. ディレクターが代表を務めるディレクターズカンパニー
  3. 制作プロデューサーが主導するプロデュースカンパニー
  4. ディレクター等が複数所属するプロダクション

レコード会社内部で映像制作を包括していたのが①。他は外部の会社となる。順を追って紹介する。

レコードレーベルの映像部

(1)レコード会社の映像部は、自社の映像作品の販売や制作を行う部署である。その中でも、80年代よりいち早くMVを筆頭とした音楽映像制作に力を入れたレーベルがEpic/Sony Records(現Epic Records Japan)だ。佐野元春や岡村靖幸、TM NETWORK、渡辺美里等のMVを演出・プロデュースした坂西伊作氏は、音楽映像の先駆けとして多くのミュージシャンおよび映像制作者に影響を与えた。

同レーベルの川崎幹雄氏は、後にPUFFY「これが私の生きる道」「渚にまつわるエトセトラ」(1998年)等のMVや多数のライブ映像を手がけている。またSony Music Entertainment Japanのビジュアルコンテンツ部に在籍していた板屋宏幸氏は、奥田民生「イージュー☆ライダー」(1996年)や電気グルーヴ「Shangri-La」(1997年、ピエール瀧と共同演出)等の話題作をディレクションしている。

90年代後半には三木孝浩氏も同Sonyに所属し、00年代を代表するMVを多数手がけた。

ビクターエンタテインメントの映像部には、90年代を代表する名MV監督の竹内スグル氏が所属(代表作:上田現「お祭り」1991年、L’Arc-en-Ciel「虹」「Forbidden lover」1998年、ACO「悦びに咲く花」1999年、JUDY AND MARY「ひとつだけ」2000年等)。

レーベル所属ディレクターは、自社の映像を制作するのが通例だが、人気が集中した竹内氏は他レーベルのMVも多数ディレクションした。

avex traxの映像制作会社プライム・ディレクション(後トゥーマックス、ミディア)には、ミリオンセラーのMVを多数手がけた武藤眞志氏が所属していた(代表作:TRF「EZ DO DANCE」1993年、globe「is this love」1996年、安室奈美恵「a walk in the park」1996年、華原朋美「I’m Proud」1996年、浜崎あゆみ「Depend on you」1998年等)。

現在はなんとあのハズキルーペのCMを演出されているとのこと。常に話題作を手がけている。

人気ディレクターズカンパニー

(2)ディレクターズカンパニーは、90年代を通じて多数設立され、まさしく群雄割拠の様相でMVシーンを活性化させた。代表ディレクターは、個人として他の会社と仕事をすることもあれば、スタッフィングや環境整備の自由が効く自社で制作を請け負うこともある。代表に師事する若手も助監督や制作スタッフとして働き、若手育成の役割も担っていた。

まずは、中野裕之氏が1993年に設立した「ピースデリックスタジオ」から紹介しよう。1990年に演出したDeee-Lite「Groove Is In The Heart」MVが世界で話題となった中野氏は、以降邦楽MVシーンに多大な影響を与えた(代表例:布袋寅泰「スリル」1996年、今井美樹「プライド」1966年、Mr.Children「花-Mémento-Mori-」1996年、PHOTEK「NI TEN ICHI RYU」1997年、GLAY「誘惑」1998年、BLANKEY JET CITY「ダンデライオン」1998年等)。

同社に在籍していた丹修一氏もまた90年代を代表する名MV監督である(代表例:MY LITTLE LOVER「Private eyes」1997年、hide with Spread Beaver「ピンクスパイダー」「ROCKET DIVE」1998年、hitomi「there is…」1999年、Mr.Children「光の射す方へ」1999年、SADS「SUNDY」「LIAR」1999年等)。

90年代後半には、次世代のMVディレクター番場秀一氏が丹氏に師事し、2000年代の話題作を多数手がけた。さらには学生だった柿本ケンサク氏も中野氏の現場にて助監督を務めていたと聞く。

次世代の育成

また、番場氏が丹氏に支持する以前に勤めていた制作会社「フィッツ・ロイ」の代表は、80年代よりMVシーンの第一線で活躍されてきた前島輝氏である(代表作:米米CLUB「愛は不思議さ」1993年、松任谷由実「春よ、来い」1994年、SPEED「BODY&Soul」1996年、忌野清志郎「世界中の人に自慢したいよ」1996年等)。

同じく80年代よりアートディレクション、グラフィックデザイン、写真、MVを通じて音楽シーンと長く関わってこられた「ooo(トリプルオー)」の永石勝氏には、現在の大人気監督である関和亮氏が師事していた。映画やテレビドラマの監督として知られる堤幸彦氏もMVを多数手掛け、その制作会社「オフィスクレッシェンド」には邦ヒップホップのMV作品を一手に手がけ続ける薗田賢治氏が所属していた。

1986年に、当時学生だった竹内鉄郎氏が立ち上げた「竹内芸能企画」も著名なディレクターズカンパニーのひとつである。1996年には、時代劇MVでお茶の間の目を釘付けにしたウルフルズ「ガッツだぜ!!」が一世を風靡。その他の代表作も常に話題となった(スピッツ「ロビンソン」1995年、Cocco「強く儚い者たち」1998年、ギターウルフ「Jet generation」1999年、Bonnie Pink「Forget Me Not」1998年等)。

竹内氏には、ウスイヒロシ氏(椎名林檎「歌舞伎町の女王」「ここでキスして」1999年等)と高木聡氏(SILVA「ヴァージンキラー」、クラムボン「シカゴ」2000年等)が師事。さらに00年代に入ると、その次世代のスミス氏、福居英晃氏も師事し、それぞれの活躍も話題となった。

高い映像技術とCGワーク

ミリオンセラー楽曲のMVを多数手がけた「Dee DRIVE」の竹石渉氏も、技術力を駆使した大規模な作風で多くの人々を目を驚かせた(L’Arc~en~Ciel「honey」1998年、DREAMS COME TRUE「朝がまた来る」1999年、hitomi「WISH」1999年等)。

ポストプロダクションでエディターを務めていた小島淳二氏は、1995年に「teevee graphics,inc」を設立。以降のモーショングラフィックスムーブメントを牽引するクリエイターとして注目を浴びた(avex traxのモーションロゴ1989年、AUDIO ACTIVE「PSYCHO BUDS」1998年、斉藤和義「Hey!Mr.Angryman!」1997年等)。

00年代は、次世代の長添雅嗣氏や谷篤氏、田辺秀伸氏も参加し、それぞれ話題作を手がけている。

他、90年代中頃よりフリーランスとして活動していた丹下紘希氏が「Yellow Brain」(1999年)を、井上哲央氏が「COLOUFIELD」(2001年)を設立する等、ディレクターズカンパニームーブメントは00年代に続いていく。

クリエイターの特徴

当時は、グラフィックデザインから映像メディアへ参入する(あるいは両者を手がける)クリエイターが多く、ジャケットデザインや着せ替えキャラクターChappieが人気の「groovisions」等を一例に、デザインチームやオフィスがMVおよび音楽映像コンテンツに携わる機会が急増していた。

CG・アニメーションを手がけるクリエイターも増え、クラブミュージックやエレクトロサウンドと相性の良いMVを手がけるケースも散見された。

CG制作の子供番組「ウゴウゴルーガ」(1992年)に参加していた田中秀幸氏(フレイムグラフィックス)も、電気グルーヴの作品を筆頭に、実写も含めた秀逸なMVを多数手がけている(石野卓球「Polynesia」1998年、「anna~letmein letmeout~」1999年、UA「プライベートサーファー」1999年等)。

各クリエイターの会社は、制作プロダクションとして機能するケースもあれば、マネジメント事務所として運営され、実制作は外部の制作会社と行なっているケースもある。特に、テレビ番組やCM、デザインやキャラクター販売など多岐にわたる活動を行なっているクリエイターは、それぞれの専門分野のプロダクションとタッグを組んで制作に及ぶケースが多かったようだ。

また、当時は、大手企業CMの演出も手がける田中氏のように、CMクリエイターが手がけるMVやショートフィルムが話題となった(例:多田拓氏(TUGBOAT)がクリエイティブディレクション、高田雅博氏がディレクションを手がけたL’Arc~en~Ciel「Pieces」1999年等)が、00年代に続く傾向であるため、次回以降再喝したい。

ディレクターが所属するプロダクション

(3)のプロデューサーズカンパニーとして多くのディレクターに信頼を寄せられていたのは、「OKNACK FILMS」、「Birth」等。他にも、特定ミュージシャンの映像のみを請け負う会社や、CMプロダクション、コンサート映像やテレビ番組も合わせた音楽映像全般を手がける中で、時にMVを制作する会社も多数存在していた。

プロデューサーもディレクターも在籍している(4)の代表例「GOIS」には、人気ディレクターの河谷英夫氏(SHAZNA「すみれ September Love」1997年、広末涼子「MajiでKoiする5秒前」、SPEED「Breakin’out to the morning」1999年等)や、川村ケンスケ氏(GREAT3「CALIGURA」1997年、fishmans「SEASON」1998年、「A・RA・SHI」1999年等)が所属。川村氏は現在INDEPENDENT MUSIC CHANNEL「kampsite」を立ち上げている。

また、中野裕之氏が「ピースデリックスタジオ」を設立する前年まで代表を勤めていた「タイレルコーポレーション」には、80年代より活動していたビデオアート集団「MiSS MOTION」のメンバーが所属していたが、解散後は「ザ・セカンド」に所属し、それぞれに代表的なMVを手がけている。

メンバーは、新谷祐一氏(代表作:DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」1995年、サザンオールスターズ「BLUE HEAVEN」1997年、Tohko「ふわふわふるる」1998年等)。中村友彦氏(代表作:中村一義「金字塔」1997年、SIAM SHADE「1/3の純情な感情」1998年、LOVE PSYCHEDELICO「Your Song」2000年等)。

山口保幸氏(代表作:AIR「HAIR DO」1996年、little creatures「STRAY DOG IS WALKING」1997年、サニーデイ・サービス「今日を生きよう」1998年、ゆらゆら帝国「ゆらゆら帝国で考え中」2000年等)は、現在もなおミュージシャンに愛されるMVディレクターとして大活躍されている。

大手MV制作プロダクション「SEP」

プロデューサー、ディレクター以下、多くの社員数を要する大手プロダクションとしては、1992年より放映開始した日本版「MTV」および1999年の「Vibe」のオンエアプロモーションチームが中心となって2000年に立ち上げたクリエイティブカンパニー「P.I.C.S」や、同年CMプロダクション「TYO」の傘下として設立された「祭 MAZRI」等があり、00年代以降のMVシーンに大いに貢献された。

それ以前の90年代には、1989年に放映開始の「スペースシャワーTV」の番組やMVを制作するプロダクションとして1993年に設立された「SEP」が、MVに携わる制作会社の中では最大手といわれていた。同社は、番組チームとMVチームに分かれて制作しており、社員ディレクターとエージェント契約ディレクターが約10名所属。MVを専門的に手がける人材から、ライブを得意とする者まで、それぞれに得意分野があった。

所属ディレクターは前述の須永秀明氏に加え、UGICHIN氏(HI-STANDARD「The sound of secret mind 」1997年、Cocco「あなたへの月」1998年、東京スカパラダイスオーケストラ「フィルムメーカーズ・ブリード~頂上決戦~」2000年、KEMURI「kirisame」2000年等)。

Higuchinsky氏(thee michelle gun elephant「バードメン」1997年「スモーキン・ビリー」1998年、La’cryma Christi「Lhasa」1998年、L’Arc~en~Ciel「花葬」1999年等)。末田健氏(DOUBLE「shake」1999年、スケボーキング「Child’s Replay」2000年、m-flo「L.O.T(Love Or Truth)」2000年「come again」2001年等)他。

当時この所属ディレクター陣のマネジメントを担当していたのが、何を隠そう、1998年に「SEP」に入社した「ナガコ」こと当方である。

突然10名ものマネジメントを行うだけでもいっぱいいっぱいだったが、2000年には「SEP」以外のMVディレクターも含めた作品上映展「Music Video Directors Collection」(ラフォーレミュージアム原宿)の企画制作に携わったことにより、10名どころか日本中の代表的なMVディレクターおよび制作者と出会うに至る。次回は、その体験談について詳述してみたい。

次回は「ナガコが見た!」体験談コラム

今回も駆け足での説明となったが、ここにお名前や活動を反映できなかった方々の中にも素晴らしい活躍をされたクリエイターが多くいる点を、最後にお伝えしえしておきたい。本コラムは当方の見聞をベースに事実関係を精査しているのだが、もっと異なる視点で邦MVシーンを捉えている方もいらっしゃると思うので、今後本コラムを書籍化する際にはぜひご意見を伺いたい。

次回は、これまでの記事文よりも主観的に体験談を記しつつ、今回紹介しきれなかったトピックスについても触れていきたい。


WRITER PROFILE

林永子 映像制作会社勤務を経て、2002年よりMVライターとして独立。映像サロン『スナック永子』主催。日本初監督別MVストリーミングサイト『TOKYO VIDEO MAGAZINE VIS』の編集長。2016年初エッセイ集『女の解体』を上梓。


[ Writer : 林永子 ]
[ DATE : 2019-08-30 ]
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林永子 映像制作会社勤務を経て、2002年よりMVライターとして独立。映像サロン『スナック永子』主催。日本初監督別MVストリーミングサイト『TOKYO VIDEO MAGAZINE VIS』の編集長。2016年初エッセイ集『女の解体』を上梓。


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写真家、映像作家、360°VRコンテンツ・クリエイター。日本大学芸術学部写真学科卒。勉強会「VR未来塾」を主宰し、360°VR動画のセミナー、ワークショップなどを開催。
安藤幸央
無類のデジタルガジェット好きである筆者が、SIGGRAPH ASIAやCESなど海外の注目イベントを紹介。
高野光太郎
Cosaelu株式会社 代表取締役 / 映像ディレクター ミュージックビデオ、番組オープニングタイトル、CM、劇場映画、全てをデスクトップで制作。
ヒマナイヌ
頓知を駆使した創造企業
駿河由知
中央区築地出身。マルチカメラ収録&配信ユニット「LiveNinja」メンバー。2006年より株式会社スタートライン設立。外務省、国連機関、国際NGOなどの国際会議やシンポジウム、企業イベントなどのライブ配信を担当
山本久之
映像エンジニア。フリーランスで映像設備のシステムインテグレーションと、ノンリニア編集に携わる。
ベン マツナガ
未来シネマ/ディレクター。ハリウッドでの大型映像制作、短編時代劇の自主映画制作を経て、現在は、映像を通じて人と人をつなぐことをテーマに様々な映像制作に取り組んでいる
河尻亨一
1974年大阪生まれ。雑誌「広告批評」を経て現在は実験型の編集レーベル「銀河ライター」を主宰、企業コンテンツの企画制作なども行う。デザイナー石岡瑛子の伝記「TIMELESS」(http://eiko-timeless.com/)をウェブ連載中。
茂出木謙太郎
株式会社キッズプレート代表。「楽しいInternetコンテンツ」をテーマに活動。現在VRの可能性をまさぐり中。CG-ARTS協会会員
稲田出
映像専門雑誌編集者を経てPRONEWSに寄稿中。スチルカメラから動画までカメラと名のつくものであればなんでも乗りこなす。
小池拓
(有)PST 代表取締役。1994年より Avid、Autodesk、Apple、Adobeなどの映像系ソフトのデモ、トレーニンングを行っている。
黒田伴比古
報道・ドキュメンタリーエディターでありながら、放送機器に造詣が深く、放送局のシステム構築などにも携わるマルチプレーヤー。
ヒラタモトヨシ
ファッションとテクノロジーを繋ぎイノヴェーションを生み出す事をライフワークとし、WEB/ライブメディア/高精細映像表現を追求。
猪蔵
いつも腹ペコ。世の中の面白いことを常に探っている在野の雑誌編集者。
須藤高宏
東京・国分寺市に於いて録音スタジオ「マイクロサウンド」を運営し各種録音編集に携わる傍ら最近では各種イベント配信音声を担当。
林永子
映像制作会社勤務を経て、2002年よりMVライターとして独立。映像サロン『スナック永子』主催。日本初監督別MVストリーミングサイト『TOKYO VIDEO MAGAZINE VIS』の編集長。2016年初エッセイ集『女の解体』を上梓。
ViewingLab
未来の映像体験を考える有志の研究会。映画配給会社、映像作家、TV局員と会員は多岐に渡る
石川幸宏
映像専門雑誌DVJ編集長を経て、リアルイベントを中心とした「DVJ BUZZ TV」編成局長として活躍中。
山下香欧
米国ベンチャー企業のコンサルタントやフリーランスライターとして、業界出版雑誌に市場動向やイベントのレポートを投稿。
岡田智博
クリエイティブクラスター代表。メディアアートと先端デザインを用いたコンテンツ開発を手がけるスーパー裏方。
萩原正喜
米国コロラド州から、米国のデジタル放送事情からコロラドの日常まで多岐に渡るコラムをお届けします。
坪井昭久
映像ディレクター。代表作はDNP(大日本印刷)コンセプト映像、よしもとディレクターズ100など。3D映像のノンリニア編集講師などを勤める。
しらいあきひこ
カメラメーカー、ゲーム開発などの経験を持つ工学博士が最先端のVR技術を紹介。
秋山謙一
映像業界紙記者、CG雑誌デスクを経て、2001年からフリージャーナリストとして活動中。
今間俊博
アナログ時代の事例を通じ、教育関連の最新動向を探る。
金田浩樹
映画・テレビの映像制作を中心に、USTやニコ生等、ライブメディア各分野を横断して活動中。ジャンルや固定概念にとらわれない構成力と発想に定評あり。
伊藤裕美
オフィスH(あっしゅ)代表。下北沢トリウッドでアニメーション特集上映を毎年主催している。
UserReport
業界で話題の商品を実際に使ってみてどう感じたかを、各方面の様々な方々にレポートしていただきました。
System5 Labs
SYSTEM5スタッフが販売会社ならではの視点で執筆します。

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