txt:ふるいちやすし 構成:編集部

強くなにかを訴える作品作りを

以前、このコラムでご紹介した高円寺のマイクロシアターBacchusで現在バッカスフェスティバルという企画上映会がおこなわれているのだが、その中の一つに「俳優監督特集」というのがあったので観に行って来た。

昔から俳優が理想の映画を求めて自ら監督を務める事は少なくないし、それこそ名前の有る俳優が監督をするとそれなりにお客さんも呼べる。怒らずに最後まで読んで欲しいのだが、私はこういった作品の多くが好きではない。今回見せてもらった作品もそうだったのだが、往々にして俳優が監督した作品からは共通したつまらなさを感じるのだ。だがそれは映画に対して私とは全く違うアプローチしているからだと気付いた。

極端な言い方になるが、彼らには最初に演技がある。ある台詞をその表情で見せる為にストーリーを作り、そのためのカットを作り、そのためのシーンを作り、あとはそれを撮影する。これは良し悪しの問題ではなく出発点が全く違うのだ。どんなアプローチであれ、最後まで全てが素晴らしければいいのだが、なかなかそういう作品には巡り会えない。

特に不満を感じるのは撮影、つまり画が面白くない。顔を撮り過ぎるというか、演技ばかりを撮りすぎる。気持ちは分かるが、あくまでも私見ではあるが、私が最も大切にしている画の構成が演技に偏り過ぎていて美しさを感じない。どうしても彼らは気持ちよく演技をする舞台を作っているだけのように感じてならないのだ。

それでもそこから始めて最後まで美しく作りあげれば素晴らしい作品になるのだろうが、カットを撮り終え、チェックして「オーケー!」と言う瞬間の価値観が演技に偏ってしまうのは仕方のない事かもしれない。

私のアプローチが正しいという訳ではない。ストーリーに重きを置き、それを構成するシーン、そしてカット、その為の演技、画のトーンや構図。この順番だと、油断すると演技への執着が薄れてしまい、「成立している」レベルでオーケーを出してしまう事がある。

私はこの「成立」という言葉が大嫌いだ。これは説明するための基準であって、アートはあくまで感動を目指さなくてはならないと考えている。そういうレベルで演技も求めていくように心がけてはいるが、人間だもの、どうしてもそうはいかない事もある。きっと俳優たちはそんな監督への不満から、理想を追い求めて自分で作ろうと考えているのだろう。

アプローチはどこからでもいい。だが全て最後まで大切にやり切りたい。私の理想は監督と俳優が対等の立場でそれぞれの視点で責任を持つ事だ。そう、視点が違うのだ。役に成り切ってこそ見えるモノとカメラの後ろからしか見えない対極。その両方を尊重し合い、それが噛み合った時にオーケーを出す。これが理想だ。この対極の視点を両方同時に持つことは不可能だと私は考えている。

私も脚本、監督、撮影、編集、音楽と色々なものに手を出して、時々批判も浴びるが、それらは全てカメラの後ろの視点であって、その線を越えるものではない。そこをまたいで行き来する俳優監督というのはどうしても信じられない。監督をやってもいい。ただその作品には出演しないでほしいと思う。

「シネマ・ジャパネスク」という映画レーベルを作るという構想は、思うように進展してないが、諦めた訳ではない。その為に他の作家の作品も出来るだけ観るようにしているが、なかなか仲間になって欲しいと感じられる作品、作家に巡り合えないでいる。

これは俳優監督に限った事ではないが、ストーリー以前に「なぜこの作品を作った?」と聞きたくなるようなテーマや目的が希薄な作品が多いことにウンザリしている。勿論メジャーの作品にもそういう物は沢山あるが、メジャーならばそれでもお客さんは集められるし、商業的な存在意義もあるのだろう。だがインディーでそれをやったところで学生の課題レベルにしかならない。

映画を観た後、目には美しい画や姿が、耳には声や音楽が残る。だが心や脳に残るもの。それが無い映画が多すぎると感じている。ストーリーや脚本の前に、「これを伝えたい」「これを感じてほしい」といったモノが無くては、例え画にどれほどインパクトがあっても美しくても、それは単に時間を埋めたに過ぎない。

まずテーマをしっかり持って、その為の脚本であり、その為のシーンであり、その為の演技であり、画であり音楽である事、アプローチの順番はどうでもいいが、テーマという根っこの無い幹や花はいくら美しくてもすぐ枯れる。それこそ映画館を出た途端消えてしまうものなのだ。何かを与えよう!何かを訴えよう!大袈裟に考えなくてもいい。ただのバカバカしさでも構わない。それを強く訴える作品を作ろう!そういうものでないと自主制作までして作る意味はない。

さて、バッカスフェスティバルだが、ありがたい事にクロージングアクトに私の「千年の糸姫」を選んで下さった。11月4日(月)16:00から私と丸山大悟館長とのトークセッション、そして上映だ。是非観に来て頂き、その時は今回の記事への怒りや私の作品の弱点に対するツッコミをぶつけていただいても構わない。

物語の中でことさら説明はしていないが、この作品には「恨みを忘れる事こそ唯一の平和への道」というテーマがある。これはちっともスッキリしないしカッコ良くもないが、戦後の日本人が示した勇気ある決断だと思う。なぜ当時の日本人がそういう姿勢を示したかは解らないし、正しい選択だったのかも解らないが、お陰で私たちは70年以上も戦争をしていない世界でも珍しい国で生き、アメリカ人に対する潜在的な嫌悪もほとんどなくやって来ている。それだけは事実だし、私はこの決断に感謝してこの映画を作った。

私たち文化人は政治家でもなければ教師でもない。どれほど不確かで個人的な思いでも表現する自由を持っている。むしろそれが使命なのだとさえ思っている。ただそれを表現する時には、脚本からロケハン、役者とのやりとり、撮影、編集…全てにおいて強い思いを持ち続けなければならない。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。