txt:ふるいちやすし 構成:編集部

制約の中でのクオリティを考える

都府県を跨いで地方へ仕事に来ている。まるで何事も無かったように人が生活をしている。ギュウギュウ詰めの満員電車にも乗った。ソーシャルディスタンス???何ですか?それ、ってくらい当たり前にあきらめて皆さん仕事に出かけていく。夏場のマスクは息苦しいが、そこかしこで手指消毒をすることにはすっかり慣れた。でもこんな調子じゃまた新型コロナウイルスは拡がってしまう事もあるんだろうな、と思う反面、人は強いなと感じている。

今回は海外への配信仕事であったが、配信は専門外なため、専門業者を呼び、大掛かりな機材を持ち込んだ。だが、テスト段階で受信側の映像が途切れるトラブルがあり、送出までは綺麗にいってるので恐らく回線か先方の受信の問題であろう。4Kだ8Kだと言われているこの時代に先方から1280×720(久し振りに聞いたわ)でというリクエストがあり、そうか、まだそんな感じなのかとガッカリした。

最近は地上波のテレビでもZoomの映像や音声を平気で使い、新型コロナウイルスを言い訳に粗悪な番組が垂れ流され、うんざりしているのだが、配信となるとこうなってしまうのか?いや、ネットでも映画はもっと綺麗に見られるぞ!ライブ配信だからなのか?一体何がボトルネックになっているのだろう?何れにしてもこれは由々しき問題なのだ。

20年も前になるだろうか、音楽もネット配信が一般的になり、音の悪いMP3をみんなが聞いていた。ネットの利便性を理由に平気でクオリティを犠牲にしていたのだ。当時はそれを携帯電話で聞いていた事も相まって、オーディエンスもクオリティに対する執着がどんどん薄れていったように思う。そんな時期が続いたお陰で、これは何かデータがあるわけではないのだが、オーディエンスの耳がとても悪くなったのではないかと思う。

今年に入ってから私はとあるミュージカルを観にいった。アメリカの超有名なもので、会場は観客席が360°回る大きな劇場だったのだが、なんとも酷い音響だった。大好きな作品だったので、最初は我慢していたのだが、大好きだからこそ、だんだん腹が立ってきて、遂には途中で出てきてしまった。それほど酷い音だったのだ。

それでも会場は満員で、席を立つどころか、大きな拍手が鳴っている。その音でいいのか?大体そんな音響でミュージカルをやろうとするセンスが理解できない。こういった事はふり返ると度々起こっているような気がする。環境や利便性、時には新技術を理由に、クオリティが犠牲になる。一番怖いのはオーディエンスがそのクオリティに慣れてしまって良いものを求めなくなることだ。

音楽で言えば、最近ハイレゾ音源をリリースして、ハイクオリティを取り戻そうとしているが、決して売れているとは言えず、何より家庭からオーディオはおろか、ラジカセすら消えている。こういったオーディエンスの劣化は確実に供給側の責任であり、その傷跡は何年かかっても取り戻すことが難しいものにもなってしまう。

今、4Kや8Kにすることが必要かどうかは別として、少なくともダウングレードだけは避けたい。世界中が沈んでいるこんな時だからこそ、制約の中でも少しでも美しい映像を提供することが、我々の使命なのではないか?

会議などとは違う。映像が送れればそれでいいというものではないはずだ。テレビ番組だって、リモートは結構だが、せめていいカメラと照明機材を送って、ヘアメイクをちゃんとして、太い中継回線を用意するくらいの事はできるんじゃないか?私自身もプライドを持って臨みたい。

自粛ムードの中で

私も緊急事態宣言の真っ只中に、何か出来ることをやろうと、超短編の脚本を書いた。これはやろうと思えばオールリモートでも出来る物だが、もちろん稽古もたっぷりやって、ここまではZoomでもLINEでもいいのだが、撮影は初めからZoomを使って簡単にやろうという発想は1ミリもなかった。役者が誰にも会わずにできる環境で最適な背景を一緒に探し、設定を施した機材と衣裳を送り、シンプルなものだからこそ、せめて少しでも美しい映像にしようと思っていた。

そうしたところ、役者の方から「もういいじゃないですか。ちゃんとスタジオで一緒にやりましょうよ!」という申し出があり、とても嬉しかった。これには批判もあると思うが、少しでもいいものを作るという我々の覚悟だと思って頂きたい。

例えば医療従事者や駅の職員達、又は間もなく始まるプロ野球やサッカーの選手たちがその使命感でリスクを承知で働いているのと変わらず、我々も自分の仕事にベストを尽くす事にリスクがある事は承知している。もちろん、個人個人にそれぞれの考え方があるので、役者やスタッフにこちらから強要する事はできないが、今回、役者側からそういう申し出があった事は本当に嬉しかったし、同じ覚悟を共有できていることを誇りに思う。

そんな我々の行動に、前回お話ししたシアターバッカスの丸山館長も動いてくれた。少しでもいい映像になるのならと、劇場をスタジオとして使わせてもらえる事になった。黒バックでも仕方ないと思っていたのに、大きなスクリーンに背景画像を投影して撮影する事が可能になったのだ。

もちろん、マスクや消毒液、そして非接触といった、今までにない対策には万全を期した上での事だが、今後少しずつ緩和されていくであろう自粛ムードの中で、安全だけを基準にしていてはいい映像は撮れない。各方面から撮影に関するガイドラインのようなものも出てきているが、実は私の所にもガイドライン映像の製作依頼があった。ちゃんとした医療の専門家が監修するものであったが、あまりの憶病な内容にとても共感できず、断ってしまった。

今後、出演者やスタッフの交渉にそんなガイドラインの徹底を持ち出されることも予想されるが、思い出してほしい。極端な話、映画のためなら冬の海にでも飛び込むという安全とはかけ離れた事を生業にしているのだ。それなりの覚悟を持って臨みたいものだ。

その上で、我々も安全性に対する備えや意識を高める事も重要で、そもそも現場にいる人数を減らすというプチ・シネ的考え方は今こそとても有効で、ミニマムな機材と体制の需要は今後益々高まっていくように思う。今一度、自主映画だけに留まらず、企業映像や番組製作に至るまで、プチ・シネでの体制を強化し、この時代の中で美しい映像を作っていこうぜ!!

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。