写真:鍋 潤太郎

アカデミー財団が頻繁にセミナーや公演を開催する理由は?

アカデミー賞の主宰でお馴染み米国映画芸術科学アカデミー(以降、「アカデミー財団」)は、アカデミー会員及び一般を対象とした講演やセミナーを頻繁に開催している。講演のテーマは、当然ながら映画に関連した分野が中心だが、特筆すべきは内容の濃さ、網羅されているジャンルの広さ、そしてその水準の高さだろう。ハリウッド映画のみならず、時には外国映画や、海外の映像文化も積極的に取り上げ、この4月には70年代のカンフー映画特集が組まれ、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が上映された。過去には日本の映像文化が取り上げられた事例もあり、2001年にはジャパニメーションを題材にしたパネルディスカッションが、また2009年には宮崎駿監督を招待しての講演会等が行われた。

このように、言語や文化の壁に捕らわれずに映画作品と真摯に向き合い、「良いものは正しく評価する」という姿勢が見られ、アカデミー財団の懐の深さが感じられる。また、驚くべきは講演の入場料金だ。一般はたったの5ドル(約500円)、学生は学生証の提示で3ドルで入場出来る。この料金の安さも手伝って、人気のある講演はSOLD OUTになってしまう事も少なくない。

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会場となった、アカデミー財団の試写室サミュエル・ゴールドウィン・シアター

一連の講演会の会場は、ビバリーヒルズにあるアカデミー財団の試写室サミュエル・ゴールドウィン・シアター(1,012席)。ここは毎年アカデミー賞のノミネート作品発表が行われる場所として有名なほか、ベイク・オフが実施される事で、映画業界ではお馴染みの場所である。さて、そんな折、今年のアカデミー賞の視覚効果部門でオスカーを獲得した映画「ライフ・オブ・パイ」のメーキング講演が行われるという事で、筆者も足を運んでみる事にした。今回はその講演の内容を、さっくりと要約してみなさんにお届けする事にしよう。

気になる講演内容は…?

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講演のプログラム

“DECONSTRUCTING PI”「パイを分析してみる」
日時:5月6日 午後6時半会場 7時半開演
会場:アカデミー財団 試写室 サミュエル・ゴールドウィン・シアター

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満席の場内。ちなみにこの日の講演はSOLD OUTになる程の人気だった



著者注:このレポートの文中に出てくる「3D」「ステレオ」は、立体映像の意。パネラーによって用語が異なるが、ここでは各パネラーの発言に沿って記述してみた

ティム・スクワイアズ/エディター

4年程前、最初にお話を頂いた時から「大変な作品になるだろう」という予測は出来てました。3D写真は自分の趣味としてはやっていましたが、仕事で3Dの映画を担当するのは初めてでした。視覚的にインパクトがあり、「リッチな美しい絵」にする事が目標でした。まず、ソニースタジオで3Dのクラスを受講し、コンバージとパラレルの違い、そして視差と3D効果の関係などを学びました。

そして我々は、簡単なカメラテストを行いました。水面にボートを浮かべて、虎のぬいぐるみを乗せて3Dで撮影し、水面やデプスがどのように見えるかをテストしてみました。これがその映像です。

(虎のぬいぐるみが可愛く、ほのぼのムードが漂い、場内から笑いが漏れる)

この作品ではVFXを駆使しますから、撮影に入る前に綿密なプランを建てる事が重要でした。その為にはプリビズが不可欠となりました。さて、私のような映画をカット(編集)するエディターが、「3D映像の何たるか」を理解する必要があるかどうか?答えはYESです。

皆さんは意外に思われるかもしれませんが、私はこの2年間、大きなモニターの前で、3Dメガネを掛けて「ライフ・オブ・パイ」をカットしてきました。その理由は「デプス・グレーディング」にあります。平たく言えば、視差をポスト・プロセスで調整する事ですが、例えば映画の最初の方で出てくるプールのシーンがあります。泳いでいる男性が他のシーンに被って合成されたり、複数のシーンに跨っていくシークエンスです。

あのシークエンスを、ただ単にそのまま繋いでしまうと、3D映像で奥行方向の前後関係がバラバラになってしまい、観客が視覚的に混乱してしまいます。これを編集の際に、映像のタイミングだけでなく、奥行き(飛び出し具合い)も編集するのです。前後関係を調整し、空間がスムースに繋がるようにします。3Dメガネを掛けて、観客に近い感覚で、映像の中に入り込み、3Dを体で感じながら、フィーリングで編集していくのです。このように「パイ」の編集は、映像の中で、時間と3D空間を同時に編集したのです。

ブラット・アレクサンダー/HALON プリビズ・スーパーバイザー

プリビズはステレオで、伝統的な赤青のアナグリフで作りました。この作品に限らず、映画で最も重要なのはストーリーです。ステレオ効果はその次で良い。それを意識しつつ、極めてシンプルなパイ(主人公)の体のデータと、海上のプロップをMayaでモデリングし、LAと台湾の2チームでプリビズを作りました。一番最初にテストしたのは、貨物船が沈んでいく嵐のシーンです。これを3Dプリビズで作る事で、ステレオの一通りのワークフローを学ぶ事が出来ました。

大まかな作業の流れは、アニメーション ⇒ プリビズ ⇒cineSyncによるチェック ⇒ 直しという感じでした。パイ(主人公)がリチャード・パーカー(虎)の頭を抱きかかえるショットのプリビズでは、エモーションとストーリー・テリングを重視し、表現してみました。この映画のプリビズに掛けた期間は全部で2年4カ月。この期間にインド、台湾、LA、NYを行き来しながら、文字通り国を跨いでプリビズが完成したのです。

ビル・ウェステンホファー / Rhythm&Hues StudiosVFXスーバーバイザー
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ビル・ウェステンホファー氏

3D作品におけるVFX制作は、チャンレンジの連続です。

  • データ量は2倍
  • 多岐に渡り、余分な準備が必要になる。
  • トラッキング、アニメーション、ロトスコープ、キーイング、全てに更なる正確性が要求される。
  • 2Dによる”嘘”(マットペイント、予め合成素材を撮影しておいて必要に応じて画面の随所に合成する等)がつけない。

また、2台のカメラで撮影された3D映像は、ハーフミラーを通していたり、リグのセットアップの関係で、微妙にズレや色の違いが生じます。これらを調整する為、社内では「コンバージェンス・マップ」というテクニックが開発されました。これは、一種のデプス・マップで、後処理によって微調整を行う事が可能でした。

さて、この作品の中では膨大な数のデジタル・オーシャンが登場します。海面全てがCGIのショットもあれば、撮影セットのタンクの中の水を部分的にCGIで差し替えたり、これらにスプラッシュ等を追加してディテールを足したりと、様々なバリエーションがありました。

3Dの作品は、更なるディテールが要求されます。特にこの作品では、CGIのキャラクターが水に入ったり、濡れたりする表現は大きなチャレンジでした。リチャード・パーカーは、皮膚と筋肉、そして1,000万本のファー等の開発に1年を費やし、レンダリングには1フレームあたり約30時間掛かっています。作品全体では、もしCPU1台で計算したと仮定すると、レンダリング時間は、エフェクト部門で375年、ライティング部門で1091年も掛かった事になります。

また、映画の全960ショット中、VFXは690ショット、上映時間2時間のうちVFXショットが1時間29分、使用したディスクスペースは260TBでした。

エリック・ジャン・デ・ボア氏 / Rhythm&Hues Studios アニメーション・スーパーバイザー
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エリック・ジャン・デ・ボア氏

この作品では、25種類の動物(虎、シマウマ、オランウータン、ハイエナ、ミーアキャット等)が280ショットに登場しており、その総数は560匹に相当しています。キャラクター・アニメーションでは、特に2Dと3Dで作業上の大きな違いはありませんでしたが、3Dでは平面的なトリックやごまかしが通用しないので、正確にポーズを決める必要がありました。リチャード・パーカーはベンガル・タイガーという亜種で、まず観察からスタート。フランスへ行き、本物の虎を8週間掛けて撮影し、膨大なリファレンス素材を作りました。

リアリティを出す為、アニメーションのリグで配慮したのは、

  • 地面との接地
  • コリジョン
  • セットとの接触
  • 筋肉及びその組織、脂肪
等でした。

デベロップ中は、実写の虎の映像を左側に、CGIの虎を右側に並べて、それを再生して違和感が無くなるまで微調整を重ねる、という事を繰り返しテストしました。このデベロップ映像の日付は04/18/2011になっていますね。この頃からテストを繰り返していた事になります。

虎の動きは、

  • 注意深くポーズを決める。
  • フレーミング及びステージングに注意する。
  • 前述のリファレンス映像を最大限に利用し、観察する。

という事を大切にしています。バケツの水を飲んだりするシーンでは、リファレンス映像の中で、虎が河の水を飲むフッテージ等を参考にしています。

リチャード・パーカーは、すべて手付けによるキーフレーム・アニメーションで、モーション・キャプチャーや、ロトスコープによるアニメーションは行っていません。

それでは、時間になりましたので、さようなら。みなさん、お帰りの運転気をつけて。

…とこのような内容であった。

総括

個人的には、編集を担当したティム・スクワイアズ氏による「デプス・グレーディング」の話が大変興味深かったが、このようにVFX分野以外の専門家の話が聞けるのも、アカデミー主催の講演ならではの事だろう。また、会場ロビーには、「ライフ・オブ・パイ」の3D撮影で実際に使用されたカメラ・リグや、水中撮影で使用されたカメラ・リグの実物(写真)が展示してあり、参加者達の興味を引いていた。今後も、時間の許す限り、このようなイベントをレポートしていきたいと思う今日この頃である。

参考:
米国映画芸術科学アカデミー イベント告知ページ

おまけ

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映画「ライフ・オブ・パイ」の水中3D撮影に実際に使用された「CAMERON | PACE Group FUSION H20 combo 3D」のカメラリグ。展示してあった解説によれば、「これは、完全にインテグレートされた、3D撮影用水中カメラシステムです。アンビリカル・ケーブルの使用有無を問わず、ARRI ALEXA、RED EPICおよび、Phantomデジタル・ハイスピードカメラで使用することが可能です。このモデルは『ライフ・オブ・パイ』の水中撮影シーンで実際に使用されたシステムの1つです」とあった

WRITER PROFILE

鍋潤太郎

鍋潤太郎

ロサンゼルス在住の映像ジャーナリスト。著書に「ハリウッドVFX業界就職の手引き」、「海外で働く日本人クリエイター」等がある。