今回お送りするはずだった「東京アニメフェア」や「アニメコンテンツエキスポ」などの定番イベントが東日本大震災と東京電力福島原発事故の影響で中止となってしまった。しかし、日本もアニメ業界も、こんな災害なんかに負けて終わるわけがない。そこで今回は、過去の海外との比較を通じて、今後の日本のアニメ業界の向かう先を占ってみようと思う。

逞しい日本のアニメ業界

3月11日、震災当日の東京のアニメ業界は、大変に奇妙な光景であった。もちろん東北に比べれば無いも同然の軽微な被害だったにせよ、東京近郊も震度5弱~6弱と大きな揺れで、海岸側地域などは液状化で犠牲者を伴う大きな被害が出た。それにもかかわらず、停電の無かった地域のアニメ業界は平常運転で各社共に制作作業を続行していたのだ。

私自身は地震による道路封鎖で取材先から会社に戻れなかったものの、弊社でも他のアニメ会社同様、結局電車がそれなりに動き出す13日の夕方まで泊まり込みで業務を行っていたという状況だった。私が翌日に必死で会社に戻ったところ、弊社の機材の損害はコンピュータ1台だけで済み、さらには「東北は比べものにならないほど酷い状況なんです。子どもたちに夢を与える仕事の僕らがこんな地震なんかに負けてられませんよ!」という何とも頼もしい言葉がスタッフから帰ってきて、思わず涙が浮かんだ。

その後、原発事故と14日からの計画停電に伴う東京電力を原因とした出社困難と作業困難で、放射能の状況が見えない中ろくに電話も通じず、機材やデータの移動のためのガソリンも手に入らず、さすがに数日は業務が挫けかけた。しかし、それもつかの間。22日からは他業種同様ほぼ平常運転となり月末には完全に正常化。ペットボトル飲料を確保しつつ、各社とも、泊まり込みで前週の遅れを取り戻すべく動き始めていた状況であった。以前からアニメに命を賭けていると公言している連中ばかりの弊社ではあるが、物資も流通も寸断されたこの混乱の中でも本当にアニメ制作を続ける自分たちに苦笑する場面が何度もあった。

とはいえ、テレビではまともな番組もやらなくなり、新規制作も次々と一時休止という厳しい状況ではある。それでも、こういうときだからこそ絶対に娯楽が必要なのだと、各社共に不自由なインフラの中、気合いを入れて必死の思いで制作に当たっている。国民の皆様におかれては、不謹慎不謹慎と目くじらを立てず、非常時だからこそ、是非、アニメを見るときくらいは緊張を解きほぐして心から楽しんでご覧頂けたらと切に願ってならない。

さて、今回の地震だけでなく、世界の過去の状況を振り返ってみるに、実はアニメ業界には、災害やインフラ破綻に強いという特徴がある。2008年の四川大地震の被害を受けた成都市のアニメ会社も、地震の2,3日後には通常営業に戻っていて驚かされた覚えがある。その時向こうの担当者に「大丈夫。電気と電話が通じれば、コンピュータと人あとは少量の紙と鉛筆さえあれば作業が可能だから」と言われたが、確かに流通が多少麻痺していても、出社さえ出来ればなんとかなってしまうのがアニメ業界なのだ。先日の韓国の延坪島砲撃の際にも、韓国のアニメ業界は翌日には平常運転に戻っていた。

もっとも、景気の影響は受けやすいエンターテインメント業界なので、景気に悪影響を及ぼすような災害があれば会社はバタバタと潰れてしまうが、それでも、作業そのものが災害に強いというのは他の娯楽産業に比べて大きな利点だろう。日本でも、東日本大震災後、秋葉原も、単一電池が売って無い以外はすっかり平常運転だ。非常時だからといって、人は長期間娯楽を止めるわけではない。四川大地震のときは中国人アニメーターのバイタリティに呆れたものだが、今度は日本人のアニメ好きが中国や他の国々を驚かせてやったのではないかという自負はある。

震災後の成都に見る、アニメ産業復興

四川省の州都、成都は、震災1年で近代都市に生まれ変わっていた。2009年夏の写真

ここで、少し古い記録を敢えて出してみたい。実は私は、四川大震災後1年ほど経過した2009年夏、中国四川省成都を訪問している。その時には震災被害で建物などはまだ工事中のものも多かったが、アニメ産業は完全に復興し、フル稼働となっていた。実際には、前述の通り、震災の数日後にはほぼ平常運転になっていたようだが、それをさらに大幅に上回る規模になっていたのだ。

その要因として、成都の市区部にはほとんど被害はなく郊外の住宅地とインフラのダメージだけで収まったのが一つ。それともう一つが、ちょうどソフトウェア基地などの新興産業施設を建築計画中だったため、震災を期に一気に工事を加速させ、そこに引っ越しを図ったという点が大きかったようだ。もちろん、前述のアニメが災害に強い産業という点もある。

私が訪問したのは、ネットゲームとアニメを制作する会社であったが、これらの会社は震災を期に多くのスタッフを会社周辺に集め、むしろそれをバネとしていたようだった。

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震災を期にソフトウェア基地に移転されたアニメ制作現場は、数千人収容のとても広大なもの。2009年夏の写真

実は中国でも再開発は大きな問題となっている。歴史の長い中国では、地方都市であっても権利が複雑に入り組み、再開発が難しい状況なのだ。そこで中国政府は「拆(チャイ)」と呼ばれる強引な手法で強制立ち退きを繰り返し、強引な近代化を図っていた。何しろこの「拆」、壁にペンキでこの文字が書かれたら最後、1~2週間以内に急いで立ち退かなければ、中に人がいようが委細構わず強引にブルドーザーで建物をぶっつぶしてしまうというのだから恐れ入る。もちろんこの手法には市民の反発も大きく、再開発には手間取っている地域も多い。表には出ていないが、古い都である成都の再開発にも苦労をしたことは想像に難くない。そうした問題を地震を期に一気に片付けたのだから、さすがは共産主義国と言うべきか。

しかしいずれにしても、結果的に成都市民は震災被害から急速に救われたのだから、結果的には優れた為政だったと言えるだろう。もちろん、日本の東日本大震災の現状は、まだ最終的な死者数どころか大まかな被害すら見えない未曾有の状況だ。原発に至っては人災に人災が重なり日々悪化を続けている状況と言える。そんな中、復興時の再開発などを口にする段階ではないし、ましてや中国式の強引な再開発などは論外ではあろう。しかし、中国の、そのどこまでも前向きなバイタリティには、多く見習うべき点があるのではないかと思うのだ。

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デパートなどの閉店時間が若干早い他は、夜の風景も完全に正常化していた。2009年夏の写真

放射能汚染されない輸出産業、アニメ

さて、今後の日本を考えると、正直気は重い。日本はご存じの通り無資源の加工貿易国だ。安心して使える高品質な製品こそが売りでありそれ故の先進国であった。

しかし、今回の原発災害では、菅直人民主党政府は完全に悪手を打ってしまった。放射能汚染の暫定基準で、世界的日常レベルの放射線許容レベルよりも数十倍~数百倍も大幅に基準を緩めてしまったのだ。この暫定基準は、津波被災地への水・食糧不足や夏以降の食糧不足を考慮したと言われて居るが、この暫定基準のため、日本から輸出された食品や製品も緩められた基準によって検査されることとなり、結果、世界各国で各国基準以上の放射能汚染が現地国の税関での実測で検出されるに至った。そして、当然のように日本製品の禁輸処理が始まってしまったのだ。

緩い自国基準で放射能汚染された商品を送りつけてくる国、という前科を作ってしまったのだ。この措置は食料品だけではなく、家電や自動車などにも及ぶだろう。それも風評被害ではなく、現実に相手国の基準を上回る汚染商品を送りつけた立派な前科者なのだから、これに文句を言うことは出来ない。

これでは日本の要である加工貿易が成立しない。過ぎた話だが、せめて輸出部分にだけでもEU程度の基準を使えなかったのかと、無念でならない。実はEUも、チェルノブイリ事故以後は日常レベルよりも緩い暫定基準値を用いている。ただしこれは日本の暫定基準値より相当に厳しい数値だ。暫定基準を用いざるを得なくとも、その設定数値にさえ気を使えば貿易の信頼性継続は可能であったのにと、残念だ。

地震だけ、津波だけならば日本経済の早期復興の目もあったが、正直なところ、それに加えての放射能汚染のダメージは計り知れない。製造業の社長の話を聞くと、東日本のみならず加工貿易国としての日本はもうダメなんじゃないかという声まである。

しかしそんな中ではあるが、我々アニメ産業を始めとするソフトウェア産業には「放射能汚染されない輸出産業」というメリットがある。コンピュータデータ化された映像やソフトウェアは、放射能汚染されないのだ。今まで家電や自動車などの輸出の陰で日陰者の存在だった日本のソフトウェア産業だが、現状の日本が置かれる立場を考えると、これからしばらくは日本の輸出の主力の一部とならざるを得なくなるだろう。

また、東京偏重の制作体制も見直さなければならないだろう。単に事故原発に近いと言うだけでなく、首都圏のインフラの多くは元々東北地方の生産力や人的資源に頼ったものであり、そこが震災と長期化する原発事故で期待できなくなってしまった以上、停電や工場の人手不足、通勤手段の劣化を初めとする首都圏機能の低下はやむを得ないと予測される。実際、3月後半に我々が経験したとおり、そうした停滞した都市での制作が能率良いとはとても思えない。

しかし幸いにして、今はネットワークが発達している。元々TCP/IP自体が米国で核攻撃を想定して作られた仕組みだけあって震災や原発事故の影響も最低限であり、震災で維持されあるいは真っ先に回復した通信インフラがネットだったという地域は非常に多い。データ化が進んだ今の制作環境を考えれば、東京偏重の制作体制にこだわらず、こうした強靱なネット網を利用した全日本的なSOHO制作体制などの構築にも非常に高い可能性を感じる。

我々作り手も、旧来の世の中が戻ると夢見てただただ耐えるだけではなく、この大災害を期に大きく考え方を切り替えて、新しい日本のポジションにあった業務を行ってゆく必要があるのではないだろうか?

WRITER PROFILE

手塚一佳

手塚一佳

デジタル映像集団アイラ・ラボラトリ代表取締役社長。CGや映像合成と、何故か鍛造刃物、釣具、漆工芸が専門。芸術博士課程。