前回メディアについての一考察を読んで頂いたが、やはりこれは配布、販売用。つまり家庭用という事になる。もちろん商品は「所有する喜び」を満たす為の物でなくてはならないという事をお話ししてきて、それにはパッケージ等の価値観も重要なのだが、やはりメインであるメディアはメディアであって視聴環境への橋渡しという事になるだろう。

そこで今回からはオーディエンスの視聴環境について考えてみたいと思う。中でも家庭内の視聴環境はここ数年で大きな変化を遂げており、作品を供給する側としてはこの変化について行けてない状態が続いている。この状況をしっかり把握する事で、今後作品をどういう形で供給すべきなのかが見えてくるように思うのだ。また、収益性においても一カ所、一日〜数日で多額の経費を使い、入場収益を得るという方法よりは、利益率、リスク、そして作品を見てもらえる確率等からみても有利である事は間違いない。もちろん、シアターには家庭では味わえない魅力がある。それはオーディエンスの為のみならず、制作側としても末席に座ってオーディエンスの反応と共に自分の作品を観る事ができるのは至福の瞬間だ。それを諦めるつもりはないが、それはまた次の機会に考えよう。

家庭内の視聴環境を知る所から始めよう

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現在家庭内にある映像再生環境は、携帯端末(電話、ゲーム、タブレット等)、パソコン、そしてテレビだ。更にホームプロジェクターの高性能化、低価格化も無視はできない。ハイビジョンプロジェクターでさえ10万円を切り、4Kプロジェクターでさえ100万円前後となってきている。もちろんこれらの家庭への普及率はまだ無視できる範囲なのかもしれないが、数年で一桁下がるこの分野の動向には注目せざるを得ない。何より前回話したように、マニアに最高の物を届けるという意味では、今からでも4Kの作品をどんどん届けたい気持ちは山々だが、それ以前になんとかハイビジョンに対応しなくてはいけないという情けない状況だ。

おそらくこれを読んでくれている映像制作者のほとんどはもうとっくにハイビジョンで撮影し、編集からマスターまでもハイビジョンで行っていると思う。ではなぜそれがオーディエンスにそのまま届けられないのだろうか。高速道路もできていてそこを走る車も我々はすでに完成させている。なのになぜ走らせられないのか。こう書けばはっきりしてくる。料金所とレギュレーションに問題があると言わざるを得ない。また、そんな事は簡単に察しがつく筈なのに、それを誰かが変えてくれるのを指をくわえて文句を言いながらただ待っているだけの我々ドライバー(制作者)にも問題はある筈だ。

無視できない、無視すべきではない携帯端末

家庭内に話を戻そう。先ほど並べた映像機器の中でどれが一番理想的なんだろう。そりゃあ細部までこだわった作品は大きな画面でいい音響で鑑賞してほしい気持ちはあるが、ここまで映像を楽しむ環境やスタイルが多岐にわたってしまっている現状の中で、それを制作者が決めようとする事自体に無理がある。たとえ自分の作品は4Kのホームシアターで観てもらいたいという大それた思いがあったとしてもだ、それを決めるのはあくまでオーディエンスであって我々ではないのだ。始めは携帯端末であっても、その作品をやっぱり大きな画面で観てみたいと思わせるような作品を作る。そしてその希望を叶える供給手段を用意しておく事が我々にできる精一杯の事なのだ。

それではその携帯端末やタブレット、パソコンにはどうやって作品を送ればいいのだろう。簡単だ、YouTubeやVimeoといった投稿サイトにアップすればすぐにハイビジョンで観てもらえる。ただし、その作品の価値はそこで終わってしまうのは覚悟しなくてはいけない。当たり前だ。一旦無料で流してしまった物を有料化するのは難しいし、映画祭ですら出品する権利を失う事がほとんどだ。私も幾つかの作品を丸ごとYouTubeにアップしているが、「それは作品を殺したのと同じ事だ」とまで言われる事がある。YouTubeには再生回数によって広告収入を得るシステムもあるが、複雑な手続きをクリアしても数千の再生回数では何の収入にもならない。まぁ、制作者や出演者の人的宣伝にはなるが、それ以上の価値は失ってしまう。もっとダイレクトに作品の魅力による収益を得るためには「健全な」有料視聴を供給するシステムが必要だ。

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現在もそれは動き出しているが、どうしても昔のテレビ局と広告代理店のようなシステムになっていて、中には制作者からも放映料を徴収しようとする中間業者まで現れる。こんな事をもう十年以上続けている状態だ。この怪しいシステムが及ぼす悪影響は小さくなく、まず制作者が配信に対して大きな不信感を持ってしまっている。誰がお金を払ってまで作品を殺したがるものか。逆に言うとこういった業者はお金さえ払ってくれれば何でも流す。つまり粗悪な作品が数多く流出するという事になる。たまたま視聴料を払ってそんな粗悪な作品を見せられてしまった視聴者は二度とそのチャンネル(サイト)に戻らないだろうし、チャンネルの運営そのものが危うくなる。そこで経済的リスクを回避する為にも制作者からお金を巻き上げる…その悪循環なのだ。

この悪循環をどこかで断ち切らなくてはいけない。その時にまず優先させるべきは制作者の収益や権利でもなく、業者のリスク回避でもない。オーディエンスにとって魅力あるチャンネルであるという事だ。ハリウッド映画や有名なタレントの作品でなくても面白い映像があるという信頼を勝ち取らなければならない。我々制作者がやるべき事はもちろんそういう作品を作ることだが、その後、粗悪な業者の口車に決して乗らない事。そういう業者は消えてもらわなければならない。では作品選考は誰がやるのかと考えれば、もうそのチャンネルや放送局が直接やればいい。今の時代、それはそんなに難しい事ではないし、募集と審査に関しては映画祭等とタイアップするのもいいと思う。映画祭の運営者達はせっかく自分たちが集め、評価した作品の出口をいつも探している。チャンネル運営者もコンテンツが足りないと嘆いている。だがここでは良質な、視聴料を取るに値するような作品以外には手を出さないという決意が必要だ。そして私たちはそれを作る。これは各方面が足並みを揃えて一気にやらなければならない事で、大変難しいとも思う。でもそれができればオーディエンスも含めて全ての人に利益をもたらすに違いない。

これはまずは携帯端末やタブレット、パソコンといった環境の話だ。もちろん映像作品の魅力を届ける最良の方法ではない。それは映画館であり、4Kであり、そして大画面テレビやプロジェクターである事に変わりはないし、いつも言うように、そこで最高のクオリティーを楽しんでもらう努力を怠ってはならない。ただ、携帯なども無視をしてはいけないし、そういう時代ではないという事はもうはっきりしている。少なくともタブレット等はヘッドフォンを繋げばかなりの映像の魅力を楽しめるし、ハイビジョンである意味も感じられる環境だ。そこから更に高いクオリティでその作品を観てみたいという気になってもらえたら、嬉しい事この上ない。

Kindleの本格的参入でコンテンツの供給もよりやりやすくなっている。反面、そこでの利益を狙う怪しい業者がどんどん出て来ている事も確かだ。先日、電子書籍の出版説明会なる物にも行って来たが、どう話を聞いても書籍業界の生き残りという道筋にしか聞こえない。それなのにそこにはすでに多くの機構やレギュレーション、そして委員会みたいな物まで出来始めている。もう本屋だレコード屋だなどと言ってる時代ではないだろう。あの端末で良い映像作品を楽しんでいるオーディエンスの事をまず想像してみよう。自ずと我々がやらなくてはいけない事は見えてくる筈だ。

次回も引き続きテレビやパソコンの家庭内視聴環境と供給戦略を考えて行きたい。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。