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[鍋潤太郎のハリウッドVFX最前線]Vol.88 ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ初のアフリカ系アメリカ人アニメーター フロイド・ノーマンによる講演

2018-01-05 掲載

取材&写真:鍋 潤太郎

明けましておめでとうございます

新年である。ついこの間、アナハイムで夏のSIGGRAPHを満喫したかと思えば、もうお正月である。しかし実際のところ、この原稿の執筆は、年の瀬も押し迫った12月。つまり、筆者の時間軸では、まだ師走なのである。

さて、2017年を振り返るに相応しいテーマには、何が良いだろうか?と考えた時、夏のSIGGRAPH2017で行われたフロイド・ノーマン氏による講演がファースト・チョイスとして頭に浮かんだ。この講演は極めて貴重な内容だったにも関わらず、なぜか日本のメディアでは詳細がほとんど紹介されておらず、少々残念に思っていた。そこで、この機会に是非PRONEWS読者の皆様に、その模様をお届けしたいと思う。

フロイド・ノーマン氏による基調講演

SIGGRAPHの基調講演では、CG/映像関連分野で活躍されている署名人による講演が行われる。今年はウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオで最初のアフリカ系アメリカ人アニメーター、フロイド・ノーマン氏(以降:ノーマン氏)が登壇した。その講演の模様を要約してお届けする。

フロイド・ノーマン 略歴

ノーマン氏は、1956年にウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオで最初のアフリカ系アメリカ人のアニメーターとして雇われ、後に「ザ・ジャングル・ブック」(1967年)のストーリー・チームに異動、ウォルト・ディズニーと共にストーリーの制作作業に携わった。ウォルトが死亡した後、ノーマンはディズニーを離れ、彼自身の会社であるビネット・フィルムズ社を設立し、高校におけるアフリカ系アメリカ人の歴史を題材にした映画を制作した。後にディズニーに戻り、出版部門でのプロジェクトに参加。ノーマンは2000年に65歳で引退を迎えたが、ディズニーのオフィスには、今でもノーマンのキュービクルが常設されているという。

ノーマンは、ディズニーとの仕事に加え、ハンナ・バーベラ・プロダクションとの提携によるファット・アルバート・テレビのスペシャル「ヘイ、ヘイ、ヘイ、イッツ・ファット・アルバート」や、テレビシリーズ「ソウル・トレイン」のオープニング・タイトル・シークエンス等手掛けた。また「モンスターズ・インク」、「トイ・ストーリー2」などのディズニー&ピクサー作品にもストーリーで参加している。

スピーカー:フロイド・ノーマン
聞き手 :スティーフ・ワスクル(Waskul Entertainment)

――大変長い間、この業界でお仕事をされていますが。

ノーマン氏:私が1956年に私がウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ(以降:ディズニー)で仕事を始めた頃、周りの人に「アニメーションの仕事をする」と言ったら、「大丈夫?」等と心配されたものです。まだそんな時代でした。しかし、私の両親は良き理解者であり、とりわけ祖母は私を信じ、私の夢を応援してくれました。祖母は癌で亡くなりましたが、私は祖母が亡くなる前にサンタバーバラの病院へ行って「ディズニーに雇われた」と報告し、自分の夢を祖母とシェアする事が出来ました。

私は中学生の頃から、趣味でアニメーションを作っていました。本屋さんで「アニメーションの作り方」という本を20ドルで買ってね。当時はアニメーションを教えている学校など無い時代でした。高校を出てから、アート・センターに入学したのですが、私の専攻は広告イラストレーションでした。なぜなら、アニメーションのクラスは、まだ存在していなかったのです。

アニメーションのテクニックそのものは、ディズニーに入ってから、この業界をゼロから作り上げた「マスター達」から現場で学びました。もっとも、ディズニーのアニメーション・スタジオは、今とは比較にならない程、小規模でした。しかし、50年代のディズニーは、短編&長編アニメーション映画の他に、週1回放映される「ディズニーランド」、毎日放映された「ミッキーマウス・クラブ」等のテレビ番組の仕事で、どんどん忙しくなっていました。1955年にはアハナイムにディズニーランドもオープンしました。そんな素晴らしい時期に、私はディズニーに参加したのです。

――ディズニー・スタジオは敢えてリスクに挑戦し、成功してきました。しかし、経営は何度も苦境に陥り、それを乗り越えてきましたね。

ノーマン氏:その通りです。それも一度や二度ではありません。この会場にいる殆どの方はおそらく想像もつかないと思いますが、1940年代のディズニー・スタジオは、何度も何度も潰れかけたのです。最初の危機はアニメーターのストライキ、そして第二次世界大戦による映画本数の激減は、経営に大打撃を与えました。その都度、ロイとウォルトの兄弟は、ギブアップする事なく、何度も危機を乗り越えてきたのです。

――実際にウォルト・ディズニー氏とお仕事をされたわけですが、どのような影響を受けましたか?

ノーマン氏:1966年のある日、私は上司から、アニメーション・ビルディングの上の階にある2Cの部屋の、ストーリー部門へ移るよう、命じられました。私が志願した訳でも、目指していた訳でもありませんでした。そこで、ウォルトと一緒に、「ジャングル・ブック」(1967)のストーリーを担当するように言われたのです。私はまだ20代で、ウォルトの傍で仕事が出来る事は大変な名誉でした。そこで、自分の灰皿を持って、上の階へ異動しました。当時は、「自分用の灰皿」を持っていた、そんな時代だったのです。一緒に仕事をして、私から見た「ウォルト像」は、彼は大変シンプルな性格であり、発明家であり、そして、とても賢明な人物という印象でした。

当時シルバー・レイクにあったスタジオには、「マスター」達から本物のアニメーションを学ぶ為、私を含め、多くの若者が集まっていました。ウォルトは「人の才能を見出す」不思議な力を持っていました。ウィルフレッド・ジャクソンはその好例でしょう。ウォルトは、ウィルフレッドをアニメーターとして雇い入れました。後に彼は監督まで昇進し、沢山の映画を手掛けました。しかし、ウィルフレッドはフィルム・スクールも出ていなければ、監督の経験も皆無でした。しかしウォルトは、彼の中に、そのポテンシャルを見出したのです。

また、ウォルトは「アニメーション」という前例のないジャンルのビジネスを、スクラッチ(ゼロから)作り上げ、テクノロジーの発明や開発にも力を注きました。1930年代に白黒からスタートし、それが総天然色になり、マルチ・プレーン・カメラを発明し、そういうテクノロジーのパイオニアでもあるのです。今でこそ、レイヤーは合成ソフトの中で簡単に扱えますが、当時は撮影台の上で何レイヤーも重ねて、同時に撮影していた訳です。

当時、ディズニーでは実写の作品とアニメーション作品が並行で走り、その両方に携わりましたが、私はどちらも好きでした。アニメーションは、絵作りも含めて、「よりコントロールが出来る」ので、どちらかと言えばアニメーションの方が好きですが。それに対して、実写作品は「走っている列車に飛び乗るような感覚」で、スリルがありました。しかし、今日では、実写作品も、殆どアニメーションの感覚に近いものがあると思います。なぜなら、フレーム毎にデジタル・テクノロジーで加工していく訳ですからね。

――テクノロジーの変化に柔軟に順応されて来られたそうですが、コンピューターが普及する前のディズニーは、ハイテクに対する敵対心みたいなものは?

ノーマン氏:ディズニーは伝統的なアニメーションを手掛けてきたので、特に80年前半には、ハイテクに抵抗感を持つ向きも、オフィス内にはありました。この頃、アップルが最初のマッキントッシュ(Mac)を発売し、私がそれをオフィスに持っていくと、周りの人は「これは、何だ?」と。「コンピューターですよ」と答えると、「こんなもので、何が出来るんだ?」と(笑)。

――その「コンピューター」を使って、最初のお仕事は何でした?

ノーマン氏:私は、Macでミッキーマウスの脚本を書いていました。ミッキーの脚本を、マウスを使って書いた訳です(笑)。すると、上の階の若いエグゼクティブの1人が私のMacに興味を示して、秘書を送り込んできて、Macに触れていました。こういう人が数人いましたが、彼らは今、全員がアメリカの大企業の経営者になっていますよ。彼らは、当時から先見の目があったという事なのでしょう。

当時、コンピューターの処理速度は遅かったですが、私はいつの日か技術が成熟すると感じていました。その後、ピクサーという小さな会社が作っていた「トイ・ストーリー」という作品が、世界で最初の長編コンピューター・アニメーション映画となったのはご存知のとおりです。私は映画が公開される前の1994年にストーリー・リールを見ましたが、「なんてこった!誰がこれを作っているんだ。この連中と一緒に仕事をしてみたい」と思ったものです。紙と鉛筆VSコンピューターというツールの違いはあるものの、「ディズニー・スタイルのストーリーテリング」はそのまま継承されていました。

――後に「トイ・ストーリー2」のストーリーに参加されましたね。

ノーマン氏:話を頂いた時は大変エキサイティングでした。ある日の午後、「トイ・ストーリー」プロデューサーの1人であるラルフ・グッジェンハイムがディズニーを訪れ、打診を受けたのです。彼はテクノロジストで、ジョージ・ルーカスの為に「エディット・ドロイド」を開発し、スティーブ・ジョブスがルーカスからCG部門を買い取ってピクサーが出来た時にプロデューサーになった人物です。

この時、スティーブとのアクセスが出来た事も幸運でした。彼はアップルの経営者で、何かMacにトラブルが起こった時に質問するには、この地球上で最適の人間でした(笑)。スティーブは大変Cool(カッコ良い)な男であり、多くの面で、ウォルトに似た側面も持っていました。仕事に厳しく、確固とした姿勢とビジョンを持っていました。

――ご自身が担当された映画が完成した後、映画館でご覧になった事は?

ノーマン氏:私は「ストーリー・テラー」として、自分が関わった映画に対して「観客がどのようなリアクションをするか」非常に興味があり、映画館で一般の観客と一緒に観るようにしています。アナログにしろデジタルにしろ、ストーリーテリングは最も難しいパートです。

かつてウォルトが、若いストーリー・テラー達に常々言っていたのは、「映画館へ行って、観客のリアクションを見ろ」と。我々はこうしてウォルトから学んだ訳です。映画が成功したかどうかは、映画館で観客の反応を見れば一目瞭然です。

制作クルーとしての本音を言えば、自分が参加した映画は、あまり観たいとは思いません(笑)。なぜなら、完成するまでの何年もの間、「もうお腹いっぱい」になる程、映像を観ているからです。例えば「トイ・ストーリー2」では1997年から99まで数年間携わっており、映画が完成する頃には、もう見るのも嫌になっています。しかし同時に、手掛けた映画は「自分のベイビー」のようなものです。ストーリー・テラーとしては、自分がした仕事に対して、観客のリアクションを見届けておくべきなのです。この場合、観客は批評家であり、私達作り手は映画館へ行く事で、観客のリアクションとコミュニケートする事が出来るのです。

――映画館で見て、観客が自分達の狙いどおりのリアクションをした時の気持ちは?

ノーマン氏:それは、もちろん人生最高の瞬間です!私は「ギャグ・スター」として、いろんな作品で様々なギャグを仕込んきました。もしあなたが面白い人物であれば、「何が面白いか」を理解している事でしょう。例えば、「トイ・ストーリー2」で私が仕込んだネタの一例として、玩具量販店の中に登場するツアーガイド・バービーがあります。観客の反応は期待どおりでした。観客が笑っているのを見た時は、とても嬉しい気分になります。

――将来、この業界に入りたい若い人達に、何かアドバイスはありますか。

ノーマン氏:この世界はコラボレーションが大切。アーティスト、エンジニアなど多くのタレント(優秀な人材)達と一緒に仕事をする訳です。私は今でも、ピクサーで20代の若手のストーリー・トレイニー達と仕事をするのは楽しみです。なぜなら、私が「ストーリー・マスター」達から学んできた経験を彼らとシェアし、それを継承する事で、新世代の彼らが、新しいストーリーを生み出してゆくのです。

――彼らはVR/ARなど新しいテクノロジーの世代ですが、「ストーリーテリングの大切さ」で伝えたい事は?

ノーマン氏:若い彼らとコーヒーを飲み、ドーナツを食べながら話をする時は、「新しいクロノロジーは素晴らしい可能性を秘めている。しかし、ストーリーがうまく作用しないと、そのテクノロジーを活かす事が出来ない。」という事を伝えるようにしています。例えば往年のディズニー作品を観てみると、キャラクターやストーリーは永遠に心に残る。例え40年前の古い作品でも、良いストーリーは年月を経ても輝きを失う事はないのです。

――幼少の頃にアニメーションを見て、感じた事を覚えておられますか。

ノーマン氏:私は幼少の頃、母に連れられて「白雪姫」を見ました。これは、ウォルト本人にも話した事があるのですが、子供だった私には、「白雪姫」はとても怖い作品に感じました。死に直面するストーリーです。ウォルトは、子供達が怖がっても、さほど気にしなかったのでしょう。また、これはある種、「これから様々な事が起こる、決して甘くはない人生を、頑張って乗り越えていく為の訓練」のような意味合いもあったのかもしれませんが(笑)。

この作品は1930年代に作られたものですが、今改めて観ても、構成が大変よく出来ています。キャラクターゼイションやストーリーテリングがソリッドだからでしょう。ストーリーは時を経ても、色褪せません。私自身は「ピノキオ」や「バンビ」でストーリーはどうあるべきか学んできましたが、今でもこれらの作品から学ぶものは多いです。ウォルトは、常に「ストーリーテリング」を重視する人物でした。私が思うに、ウォルトは、ストーリーのエッセンスを知り尽くし、良きストーリーエディターだったのだと思います。ウォルトは、真の「ストーリーテリングのマスター」なのでしょう。

私がウォルトと直接、一緒に仕事が出来たのは、「ジャングルブック」を担当していた1年間だけでした。なぜなら、ウォルトは1966年の12月に亡くなられましたから。当時、スタジオ内には100人ものクルーが働いていたが、全員にウォルトの傍で働くチャンスが与えられた訳ではありません。20代の若者だった私が、「マスター」であるウォルトの傍で仕事をする機会に恵まれ、多くの事を学ぶ事が出来たのは、極めて貴重な経験だったと言えるでしょう。

(2017年7月31日 11AM-12:45PM、ロサンゼルス・コンベンションセンターSouth Hall Kにて)

WRITER PROFILE

鍋潤太郎 ロサンゼルスを拠点とするVFXジャーナリスト。


[ Writer : 鍋潤太郎 ]
[ DATE : 2018-01-05 ]
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